成功哲学8
自分を理解するために、過去を振り返り、それを書き記すことだと言った。
次の段階に移ると、毎日の生活で、感じたこと、考えたことを書くという行為である。 それは日記とは違う。
希望することや、願望を書く。と言っても、よくある成功哲学のように、願望を明確にして、そのための具体的行動を書き記すというのではない。それはあくまでも、随筆、エッセイのように、書くことである。あるいは、詞のようなものでもよい。
つまり、成功に対してガツガツしないということである。
余裕を持って、感じたことや、考えたこと、希望を書くのである。それが、政治経済の評論になってもよい。こんなことを書いても、何もなりはしないと思うことなく、書き付けることである。
それは、結局、自分というものを、突き放して見つめる大変良い方法なのである。
自分が何を感じて何を考えているのかということを、書くことで、意識化することが出来る。そして自分を理解することである。
自分が何をしていいのか解らないという人がいるが、自分を理解する方法を持たないからである。それさえも出来ないとなれば、いつまでも、浮草のように漂っていなければならない。
奇想天外な希望でも良い。書くことである。
人生は私が主体であることを得心するためにも、書くことである。
一カ月前に書いたものを読み直しても、自分というものが、驚く程に理解出来る。自分というものが、どこかにあるのではないということに気づくことである。
今の自分を書く。それを過ぎた時に読む。すると、自分が見えてくる。
改めて、自分というものが、理解出来ると、それは喜びになる。その時に、決して、自己非難をしてはいけない。それが自分であるということを、受け入れる。どんなに下らないことを書いても、それが自分なのであると。
それを続けてゆくと、不思議なことに、書くことで、心が静まるようになる。つまり、言葉は精神なのであり、言葉を整理して書くということは、精神を整理するということである。最初は慣れないために、支離滅裂になることもある。それはそれで、自分なのであるから、受け入れる。文章の上手、下手を問うのではない。自分を探すための方法なのである。
自分が、何によって、満足を得るのかということを知った人は、成功する。
それは所有する物が多いから幸せであるということにはならない。精神が整理整頓されて、次ぎに心の満足に至る時に、自分の幸せが、見えてくる。
ここで、精神と心を、明確しておく。精神は言葉によって成り立つが、心は、漠然とした想いによって成り立つのである。その端的なものが気分である。気分は心の薄い皮のようなものである。その奥には、深い想いが漂う。
精神を整理整頓させて、心の有り様を見つめると、自分が知らなかった自分を発見する。する。すると、自分というものが、いかに楽しく、面白いものかということに気づく。この世で、自分程、面白いものはないと・・・
心の深い意識を感得すると、益々自分が大切な存在であると気づく。心理学で言う、潜在意識である。潜在意識については、後で、詳しく話すが、既成の成功哲学は、この潜在意識を利用するものである。だが、私が言う潜在意識は、欲しいものを手に入れるという単純な欲望のために利用するものではない。
潜在意識は、実に素直で扱いやすいので、それを単なる欲望の手段にしてはいけない。何故なら、潜在意識は、他者とつながる意識でもあるから、一人のものではないということである。
既成の成功哲学の間違いは、ここにある。純粋素朴な、大いなる意識に、欲望の成就を植え込むという恐ろしいことをする。本当に求めたいものを無視して、上っ面の欲望成就のために利用するという過ちを教えた。宇宙の意識にまでつながる、貴い潜在意識を、堕落させたのである。
願望成就の成功哲学等々なるものが、いかに危険であるかを、次回にお伝えする。
心は、後に魂と霊という次元に高まるのであるから、安易に扱ってはならない。
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