成功哲学12
物事には、原因があって結果があるという、単純な絡繰りで成り立っている。何人も、それから逃れることは出来ない。
因果応報とは、真実である。
私は潜在意識がすべてを知っていると説いた。潜在意識は、その因果の法を遂行する意識である。
簡単に言う。明るい意識を持てば、明るい事が起こる。ところが、事はそう簡単ではない。一念岩をも動かすという言葉があるが、一念で岩を動かすには、単なる想いで動かすのではなく、潜在意識の力があってのことである。強く念じれば事が叶うと言うが、ただ思えば良いというものではない。
事を起こすに、動機というものがある。この動機の深さが問題である。動機は、想いである。そして想いも行為であるということだ。
原因を作るのは、行為以外にない。
要するに、想えば即座に行為するかである。即座に原因を作ることが出来るか。
明るい意識を持てと言うが、意識を持てば、即座に行為するのである。しかし、今までの成功哲学は、想いの力で、成功するのだと言う。間違いである。行為があって始めて成り立つ。行為によって、潜在意識を引き出すのである。
自分の興味のあるものには、不思議なことに、いつもアンテナが立っていて、即座に反応することになっている。単純な欲望など、好い例である。そういう場所、仲間、物に即反応する。無意識に、それらに曳かれるのである。
単純な欲望は、持続して想い、行為しているから、それらにまつわる物には、即反応する。自分が、それらを引き寄せているということである。
一定の主義や主張で見ると、すべてを、それで判断し、裁断する。自分に無い物は見えないのである。見える物は、すべて自分の中にある物である。
心に花の無い人は、生け花があっても、見えないように。
今の自分を作ったものは、他の何者でもない自分の意識である。潜在意識に染み込ませた程の意識なら、当然、今の自分は、何年か前の意識の結果である。
人生はすべて自業自得なのである。他人に振り回されて、こうなったということは、一つも無い。他人との関わりを作ったのも、他でもない自分なのである。
何を選んで、何を捨てるか。そういう日常の些細なこと、小さな決断が大きな決断を呼ぶのである。成功とは、小さな決断の結果である。
原因としての意識を、たゆまず持ち続けることである。
成功するという意識の底に、何か苦行めいたものがあるという考え方は、捨てるべきである。例えば、成功する人は、難行苦行はなく楽しいのである。
芸術家が作品を作るのに呻吟しているのは、楽しいからである。傍から見ると、それは大変な苦労をしているように見えるが、本人は楽しいからするのである。
楽しくないことは、したいことではないから、しない法がよい。嫌なことはするべきではない。
ピアニストは、好きだから10時間も練習するのであり、それが苦痛なら、人に感動を与えるピアノは弾けないから、止めることである。
例えば、絵かきで、絵を描いて生活が出来ないなら、他の仕事をして絵を描き続ける。楽しいからする。そういうことである。絵を描けるということが、成功なのであり、すでに成功している。世の人は、絵で有名になり、絵で生計を立てることが成功と言う。私はそれを成功とは言わない。絵を描き続けられることが成功なのである。
有名にならないから、絵を描くことを止めるというなら、本当に絵を描きたい訳ではなかったのである。
人生は唯我独尊である。
人生を他人の眼で見ている人は、いつまでも他人の人生である。
成功とは、自分の眼で、自分を観る行為である。
|