日々徒然11
中国西北大学での日本人留学生による、わいせつ寸劇で、群衆が講義行動を起こし、大変な騒ぎになっているという。
結局、留学生三人が退学、一人の日本人教師が解雇処分という厳しいものである。
曰く、軽い気持ちだったと。
いつか、私は、そういうこうになると思っていた。イスラム圏に行って殺される日本人も出ると思っている。
つまり、日本人は、そうとうに、アンポンタンになっているということである。
国家に対する礼儀作法を知らない。国旗や国歌をまだ、認めまい認める云々の議論をしている国である。
他の国にいって、それを理解させることは無理である。日本以外の国は、個人の思いがどうであれ、礼儀として、国歌、国旗に対する礼儀というものがある。それをしなければ、殺される国もあるということを知らない。
軽い気持ちで、わいせつな寸劇をしたという、その軽い気持ちは、どこから来るのか。場所は中国である。認識不足もいいところである。日本の延長に他の国があると思っている馬鹿さ加減である。
国際化ということを、全く知らない悲劇である。国際化の何たるかを知らない。
国際化とは、違いの多くを知るということである違いを尊重し、尊敬して、平和を望む行為が国際化である。
いつか、タイの仏像に裸で乗り、写真を取って、大きな顰蹙を買った日本人もいる。
問題意識の欠落、平和ボケと言われてもしかたがない。
日本は、そういう意味では、特別な国である。これほど愛国心の教育のない国もない。愛国心を教えないということが、他の国の人も愛国心なるものを持たないであろうという、短絡的な思考しか、持ち合わせないという、愚かさである。
イスラム圏で、裸で踊った芸能人が逮捕されるということもあった。
礼儀の基本的考え方を、孔子が言う。相手の大切にしているものを、自分もあたかも大切にしているように、振る舞うことであると。
そういう教育が、日本ではなされていない。
要するに、国際感覚も欠落しているのである。
愚かの一言に尽きる。
ここを、教育家の皆々様は、どう考えているのか。きっと、それでも、国歌、国旗は云々と、無駄で無知な議論をするのであろう。
愛国心教育は、民主主義に反する云々と言うのであろう。
終わっている。
私は言う。愛国心教育をしないと、完全に日本の精神が死ぬ。すでに、日本は崩壊しているが、今度は、精神が完全に崩壊する。
精神とは言葉の教育である。日本の言葉の教育をしなければ、精神も崩壊して、日本は無くなる。
民族の精神の古里は、言葉である。日本は、日本語である。当然である。言葉は命であるから、日本語は、日本の命である。それを教育しなければ、最早、日本は無い。
国際化の最大のポイントは、日本人が日本人たることである。その誇りが、これから最も必要になる。
誇りを持てば、他国にて、愚かな真似は出来ない。日本人である誇りを持てば、他国の人も自国に誇りを持つ者であることが解る。日本人であることの誇りを持つ教育がされないから、国際社会で生きることが出来ない。これすべて礼儀作法の問題である。
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