日々徒然13
都会に生活していると、昼も夜もない。24時間コンビニ、食べ物屋が営業している。便利なことだ。どんな生活にも適応出来る。
そして、時代は闇を忘れた。
私は、漆黒の深い深い闇を知っている。
北海道の日本海沿いの寒村とも言える町に生まれ、育った。夜は闇に覆われていた。夜の海も闇の中にあった。深い深い闇の中である。時に、その闇の中に星がきらめく。
子供のころは、その深い闇を見つめて育った。
闇を知る者は、光りの尊さを知る。
闇に身を潜めるとは、古代の人に近くなる。
電気が発明されて一気に文明の進歩が早くなった。今、電気のない生活は考えられない。電気が切れたら、すべてがマヒする。
文明なるものも電気によって成り立つ。それを、否定はしない。
しかし、少しの懸念がある。闇を忘れた人は、精神を病むのではないかと。
いつも、光りに溢れていると、人は、自分の原始性を忘れ、マヒさせて、空に浮かんでいる状態ではないかと。
潜在的に眠らない精神状態が続いているのではないかと。
人は眠らないと、精神を病む。眠りによって、人は自己回復をする。闇は、その眠りを助ける。
闇を見つめることのなくなった現代人の喜怒哀楽は、どうも薄っぺらいものに感じる。
人間は、あくまでも孤独なものであるが、一人では生きられない。他者との連帯感を持って生きる。孤独でも孤立しているのではない。
しかし、闇の無い世界は、連帯感を失い孤立を促しているのではないか。
感嘆に言えば、闇を見つめていた時代は、孤立してはいられない。連帯感を持ってしていなければ、闇の恐怖に打ち勝つことが出来なかったであろう。
その連帯感が、他者との共生を培い、多くの他者に対する思いに、大義名分を見いだして、生きることが出来た。しかし、今は、光の中で、孤独を抱き、我の世界のみがクローズアップされて、つまり自我の中だけが世界となり、孤独を抱きつつ孤立して、とんでもない病に陥っていると思われる。
良薬のない病に陥った人を救うためには、自然の闇の世界が必要である。
光りは闇によって、光るのである。闇が深ければ光りは強い。
私の心に深さがあるとすれば、子供時代に闇を見つめていたからであろう。
暗く、深い闇を見つめた私は、光を希求した。闇の中での孤独感が、他者に対する思いに昇華して、同じく孤独を抱いて生きる他者を、受容する。
闇の中で人は哲学をし、人生を深める。光の中では見えなかった真実を闇の世界で見いだす。
中学高校の頃は、人里離れた海や山中に行き、深い闇を見つめて、人生を思った。
そして、奇跡とも思える星空を眺めて、自然の偉大さに驚嘆し、神なるものに向かう心を養った。それは健全な精神の発露となった。
闇の暗さが、冥さに深まる。冥さに人間の存在の冥さを見る。
再び、闇の世界を見直してみることも必要である。
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