木村天山  日々徒然 バックナンバー  

 日々徒然20

 プロデューサーと名乗って、四年が過ぎる。

 コンサートプロデューサーなどとは、今もって、素人の域を出ないと思っている。

 ゴミの日に拾った、お年寄りのための外来語という本を見て、プロデューサーの頁を見ると「生産者・演出家」とある。プロデュースは「生産する・制作する」とある。

 生産者とは、私が一番尊敬する仕事の部類である。私は芸術生産者ということになる。願ったりかなったりである。と、今更ながら、プロデューサーの意味を得心したのである。 では、その前は、どんな風に思っていたかと言えば、まず、企画し、お金を準備して、実行に移すこと、と思っていた。一番の問題は、お金の算段が出来ることであった。

 時には、ステージの様を、このようにして欲しいと、少しながら希望することがあったが、それは、あくまでも出演者の理解による。

 生産者と聞いて、納得し安心した。演出家には、私は遠いと思う。

 生産者であれば、果物、野菜等々の生産者と同じである。同じく物を作るもの。

 外来語は、時として、その本体を忘れさせる能力がある。要するに、聞こえがいい。だが、やっていることは、以前のものとなんら変わらない。

 私の場合は、もう一つ、生産者に加えたいのは、紹介者でもあるということだ。

 世に知られていない芸術家の紹介をする。また、新しい芸術家を発見して披露する。私に取っての、プロデューサーとは、実に地味で下働き、料理で言うと下ごしらえの仕事である。そう思うと、納得する。

 育てて慈しむのは、人間の本能とも呼べる能力である。

 芸術を育てて、慈しむという行為を、プロデューサーの仕事と認識すれば、これは、賭けて悔いない生き方である。

 と言うことで、拾った本で私は、また私を取り戻したのである。

 実は、私も、舞台に上がって表現するタイプの人間だと思っている。その質量は、どうなのかは知らないが、舞台に出たい人間である。

 踊る阿呆に見る阿呆なら、踊りたい阿呆である。

 いつからか、何事もやった方が勝ちだと思うようになった。一度の人生、やりたいことをやるべきだと思ってきた。勿論、皆々様がそうであろうが、なかなか、やりたいことを出来るということは、難であると言う。

 それは、生活のことがあったり、責任があったりと、色々と問題があるであろう。

 私が、いつも一人でいるのは、やりたいことをやるために、である。最低限、人に迷惑をかけないで、やりたいことをやると、決めた。

 お金を得たなら、仕事であると言えば、私は多くの仕事をしてきた。しかし、本当のところ、趣味なのか、生業なのか、曖昧にしてきた。今もそうである。それでいい。

 私は、何にも拘らず、限定されず、生きるということを生きてきた。それでいい。

 何をやっても一流でないのがいい。負け惜しみではない。一流になる人は、そう定められて、一流になると、私は考えている。

 二流、三流もいなければ一流が目立たないではないかと。

 つまり、私は、人の認めるところのものと、違う目を持って、やりたいことをやるのである人の価値評価ではなく、私自身の価値評価がある。それは、私が、どれほど生きたかということである。それは、人には解らないことである。

 私にしか、どれほど生きたかということは解らない。極めて自己中心的な考え方であり、一歩間違うと、自己満足の何物でもなくなるという、ぎりぎりのところにいる。

 だが、自己満足を考えると、自己を満足させるということは、これまた、芸術的感性なのである。

 本当に自分を満足させる生き方を生きるということは、至難の業である。

 いつも、自分に何かを課している。自己を満足させるために、休息は許されない。死ぬまで、自分の目と対決しなければならないのだ。 (2004年執筆)