木村天山  日々徒然 バックナンバー  

 日々徒然22

 今、世界で本当に平和であるという場所は、南極大陸である。

 45カ国が加盟する南極条約の元で、各国の領土権を凍結して、軍事行動を禁じ、国際協力で観測を続けている。国際的な共同研究を前提に、得られたデータは、公開と共有を原則とする。

 私は、それを知って、世界平和のモデルがあるではないかと、思い至った。南極を目指せば良いのだ。

 観測の共同という考え方の元での平和は、素晴らしい。これこそ、理想郷である。

 私はコンサートをプロデュースし始めてから、急に、平和運動を想起した。

 今、世の中でやるべきことは、平和運動であると。そして、芸術文化活動が、何より、平和運動の最高の形であると、思い至った。

 芸術は国境を問わず、すべての人が、享受出来るものである。これを使わない手はない。 沖縄の歌手が「すべの武器を楽器に」と言った。戦いを好まない琉球の思想の最も足るものである。

 私のコンサートプロデュースに、大義が見えた。単に、営業としてのコンサートではなく、大義があるのである。

 そこで、端的に「世界平和祈念コンサート」を開催した。プロもアマも、関係なく、主旨に賛同する人なら、誰でも出演出来るコンサートである。それは、大変良い成果を上げている。勿論、最初はお客様が少ない。しかし次第に多くなり、いつかは、大ホールを使用するほど大きな運動にしたいと思っている。

 収益金は、勿論、チャリティである。

 平和ボケしているという日本で、より強く平和を意識する。これが大切なことである。世界の国々から、日本と言えば、平和を推進する国である。異文化を取り入れて、それを自国の文化のように大切にする日本の文化的度量の広さを、世界に示すことであると思う。 飛鳥、奈良時代から培った、他国人とその文化を受け入れるという、伝統である。

 飛鳥、奈良時代が、いかに、他国人に対して寛容だったということである。それは、伝統である。

 ここに、また、歴史を学ぶことの大切さがある。

 日本は、日本人は他国の真似をしたのではなく、他国の良さを、すぐさま取り入れるという特技があったのである。それ程優れた民族である。

 推古朝、飛鳥、奈良、そして明治と見ると、日本は他国の良さを、徹底して取り入れた。そして、それを咀嚼して、あたかも最初からあった如くに実行している。これは、日本が、世界の平和の使者になれるという理由である。

 絶対民族主義ではない。たゆたう、曖昧な特性を持って、異文化、他民族との共生を実現出来るのである。これを生かさない手はない。

 私は、死ぬまでのテーマである大義を持つことが出来たと、喜んでいる。

 芸術文化を盛んにして、平和を願う。何と理想的か。武器のない、平和運動である。

 そして、私は、最も戦争に関わる宗教の共生を、文化的行為から、融合させ、共生させたいと思っている。本来は宗教がそれをするはずであるが、宗教は非寛容である。最も、宗教的ではないことを宗教は実行している。それでは、芸術文化という寛容を持って、宗教を共生させる方法があると考えた。

 アラーの国では、アラーを称え、エホバの国ではエホバを称え、キリストの国ではキリストを称えて、何の問題もない古神道の思想を、もってする。

 元を正せば、皆、太陽信仰から発したものであるから、神道の神である、天照大神という太陽神を、何と呼んでもいいのである。ここにも、日本の宗教の偉大さがある。寛容さがある。

 孔子の言う「相手が大切にしているものを、あたかも自分も大切であるかのように扱う」という礼儀作法を実現するのである。