木村天山  日々徒然 バックナンバー  

 日々徒然 31

 仰天する話をする。

 新生銀行(旧長期信用銀行)に政府が出した税金は、8兆円である。

 8兆円と言われると、どのくらいの金額なのか、想像もつかない。そこで、1兆円を想像してみる。毎日、百万円使って、三千年近く使える額である。その8倍である。

 仰天するのは、まだある。その長期信用銀行の頭取が貰った退職金が9億円である。破綻させ、潰しておいて、国の、いや国民の税金を投入した経営をした頭取が、9億円の退職金を得るという、その根性である。私は、この人は確実に地獄に落ちると言える。

 まあ、本人が地獄に落ちついてもいいが、その子孫である彼の行ったことにより、どれ程の業を受けなければいけないのかを知らない。膨大な子孫に、大きな影響を与える。

 もし、この人が武士ならば、切腹ものであった。それを知らないという不幸、悲劇である。そして、もう一つは、政治家が、金の感覚を失っていることである。国民の金だから、平気で扱っているとしたら、救いようがない。ただ、その政治家を選んでいるのが、国民であるから、自業自得と言えば言える。

(ただし後に、退職金の一部、2億円を返還したとある)

 私は、この国に絶望している。

 道を踏み外した感覚である。

 常識ということを考えるのは哲学の仕事ではない。常識は、世間とか、社会が自然発生的に整える礼儀作法である。それを作る機能を失ってしまったと言える。

 これから私が言うことは、飛躍し、危険な思想になるであろうが、一度、ご破算にしなければ、その名の通り、新生出来ない。

 再生は破壊によって成る。破壊を恐れては、再生しない。

 では、どうするか。政治家である。政治家一掃と、官僚の一掃である。革命が必要である。もう一つ言えば、あの組合いなるものである。労働組合という、幻である。

 組合は体制に拮抗しているようであるが、実は、増長させているのである。それを知らない。そうでなければ、こんなことにならなかった。

 例を挙げると、日教組なるものである。文部省に拮抗しているようにみえて、何もなさなかった。見てのとおりの、教育の敗退と荒廃である。

 昔、国鉄というものの組合いがあった。手のつけられない、ゴロツキがのさばっていた。その様を一々説明しない。

 JRになって、本当に良かった。国鉄は国民の鉄道だと思っていたが、あれは、国鉄の組合のものだったのだ。私は、彼らの傲慢不遜な態度を忘れられない。

 さて、私は絶望していると言った。では、どうするのか。私が総理大臣になることも、革命を起こすことも考えられない。のであれば、次代を担う子供たちと連携して、新しい国造りを考えるしかない。

 織田信長級の政治家を育てるべく行動する。それしかない。

 ご破算に出来る政治家である。

 ここまで狂ってしまった国を、どうするのか。

 人道を整えて、礼儀作法を復活させ、歴史と伝統を誇りとし、生きるに値する国を創る人間を育てる以外にない。

 私は伝統教育を訴える。伝統教育とは、国語と歴史である。これが教育の根幹を作る。

 文化は、伝統を無視しては生まれない。伝統の息吹を吸い込み、文化という表現に成り得る。その伝統教育を、組合なるものは、この60年程を無視して、よく理解出来ないイデオロギーで、推し進めた。その結果は見ての通りである。それでもまだ、組合が必要だと思っているとしたら、救いようがない。地獄に落ちるより外ない。