日々徒然 43
これを書く前に、まず私は宗教に対して、畏敬の念を持つ者であるということを言う。
この度起きた、イラクでの日本人三人の人質事件であるが、解放するという声明が出された。しかし、約束の24時間を経ても、まだ動きがないという段階である。
そこで、イスラム教の聖職者等、武装グループに声明が出された。
曰く、イスラムは、約束を守る。イスラムは嘘をつかない。
マジで、こういう声明を出すという神経である。
ああ、コーランも、このような単純明快な教えであるから、世界の第一の宗教にのし上がったのかと思わせる。
西暦600年代まで仏教国だった土地が、根こそぎイスラム化した理由が解る。あのシルクロードの国々が何よりの証拠である。
深遠な教義、教理の仏教より、単純明快なイスラムの神に祈る方が、万人向けである。
今回の事件で、何やら納得するものがあった。
教えが単純明快だから、簡単に若者が自爆テロを実行するのであろうか。こういう姿を見ていると、世界大戦時の日本の大和魂の教育を思い出す。時の軍部の、誤った大和魂である。特攻隊なども、その犠牲だった。思い返しても痛ましい。しかし、それは終わっていない。イスラムの世界では、今も実行されている。
戦争の歴史を振り返れば、いかに愚かなことであるか、一目瞭然である。しかし、歴史に学ばないのである。ああ、と嘆息する。
戦争の最終は、広島、長崎に行き着く。それを学んで欲しい。
そして、もう一つは、キリスト教の異端説である。キリスト教は、異端というものを学問にまで高めた。カトリック、プロテスタント共にである。しかし、彼らは、それが偏狭なものであることを知らない。
私はクリスチャンでもある。でもあるというのは、仏教徒でもあり、神道も奉ずる者である。そしてヒンドゥーも、イスラムも教養として持ち合わせている。
イスラムの人から言わせれば、私はクレイジーとのこと。唯一神を頂けば、当然、他の神を異端、悪しき者とするであろう。
神と言っても、それぞれ雲泥の差があるのである。
私の霊学から言えば、神にも段階がある。神は法則と秩序であるから、宇宙に充満するエネルギーであり、神を名乗る者は皆、それを悟る神なる者に近い者である。いわば天使である。便宜上、彼らは、神と名乗ることを許されている。
民族や、土地柄によって、その表現方法が違うのである。その違いを異端ということにしたならば、自らも異端であるということを言うことなのである。
キリスト教は、キリストを神とするが、イスラムの創始者マホメットは、キリストも、一人の予言者であるとする。神と予言者では、越えられない差がある。当然、両者の教えは、衝突する。
剣による者は剣にて滅ぶと教えられても、中世ヨーロッパでは、カトリックが十字軍を編成して、イスラム攻撃をした。そして、今もまさしく、歴史は繰り返している。
石油の利権争い云々と言われたり、分析家は色々言うが、根本はそこにある。
要するに、差別意識である。この妄想によって歴史は繰り返されてきた。
差別意識は宗教のみならず、民族、主義等々にまで至る。歴史を見つめれば、それは一目瞭然である。
単純明快は、差別主義に至るのである。人間が複雑深遠であることを、誰も言わない。 結果、行き着くところまで行く。そして、広島、長崎を繰り返すとしたら、こんな愚かなことはないと言いつつ、それに向かう歴史を学ばない者どもである。
マジで、イスラムは約束を守る、嘘をつかないというなら、単純明快に、イスラムは他の神々を内包するという、大きな器になって欲しいものである。
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