木村天山  日々徒然 バックナンバー  

 日々徒然48

 国会議員と坊主は、一度やったら止められないらしい。片や税金を食いつぶし、片や供養の名目で金を絞り取る。地獄行きということがあるならば、地獄行きである。

 国民は、40年間年金を払い続けて、年間79万7千円を得る。一方、議員は、10年間在職すると、年間412万円の終身年金が貰える。その掛け金は、年額126万6千円である。三年で元が取れる。その上に、在職が一年のびるごとに、8万2千円が加算される。そして、何より重大なことは、この議員年金に膨大な税金が使われているということである。

 2004年度は、掛け金収入9億1700万円に対して、給付額は33億5700万円。不足分は一般会計から補填される。つまり、足りない分は、国庫負担、税金で補うとうことである。

 議員になるというのは、国民のために身を呈して働く、国の行く末を見据えて奉仕するという、高尚な理想の元に行われていると思っていたが、議員は、うまい商売なのである。だから議員になる。土下座しても議員になりたいということになる。

 堕落というのは、国会議員と坊主に言う言葉であることを、明確にする気分である。

 最も尊敬されてしかるべき人が、最も堕落しているという様は、戸惑いを通り越して、絶望する。

 そして、最大の問題は、彼らに、その自覚がないということである。国民に奉仕すべき者が、税金を食いつぶす者であることを。信者よりも貧しくして、神仏の道を歩むはずの坊主が、こともあろうに金集めに奔走している図である。清め祓いも出来ずに、のうのうと宗教家に収まって入る図は、滑稽を通り越して、絶望する。

 それを彼らは自覚していない。自らの姿を知らないという図である。悲劇である。哀れである。

 だが、歴史というものは、必ず判定を下す時期がある。

 織田信長が堕落した比叡山を焼き打ちにしたようなことがなくても、自己崩壊するのである。堕落は自己崩壊の根である。その堕落に気づいていないということは、不幸であり、悲劇である。放っておいても、自滅する。

 投票率が、50パーセントを切るのは、見捨てられているからである。議員に期待しないし、勝手にやってくれと思っているからである。どうぞどうぞ好きなようにやって、国を自滅して下さいと言っているのである。自滅した暁には、自分たちで、新しい国を造りますということだろう。

 宗教の何たるかを忘れて、宗教家もどきになっている坊主も、自滅するのを、真面目な信者は待っているのである。神仏を見失って、現世のみに心を捕らわれている坊主を、信者は自滅するのを待っている。坊主ほど、来世を信じない者はいない。本末転倒である。 不成仏霊が、うようよしている寺に詣でる人もいなくなる。不成仏霊がいることさえ知らないという愚である。読経は単なる坊主のてらいである。何の効力も無い。

 何故、読経をするかと言えば、読経する音の波動で、清め祓いをするためである。それを知らない。お経の意味などは、単なる物語である。しかし、それを音にすると、それは波動となって、宇宙に、霊界に通ずるのである。それを知らない。

 ここで、両者共に、共通しているのは、人の金を掠め取っているということである。いかに、人様の金を自分のものにするかということに、苦心しているのである。

 人類は、お金という偉大なものを造った。自分で、自分を試すためのお金というものを、造った。それに比べて神の造ったものは、無償で、ただただ、与えるものばかりである。自然の恵みしかり。命というもの、しかり。溢れるばかりに、神は与えるのである。

 だから、神の求めることは、与えるということなのである。神が与える者であるように、神を知る人は、与える人になることを、神は求める。

 さて、坊主の信仰している仏はどうなのか。奪え奪えと、教えているのだろうか。

 私の霊学から見ると、霊界の仏教界は、随分と汚染されているから、その波動を受けているのであろう。ほとんど、魔界に近くなっている。現世を写しているのだろうか。