木村天山  日々徒然 バックナンバー  

 日々徒然57

 天皇制について、明らかにしておく。

 憲法に象徴天皇制と謳われている。至極最もなことである。

 天皇は、いつも時代も象徴であった。古代、天皇が政を司っていた時期がある。国造りのためである。それ以後、天皇の存在は象徴というに相応しい存在であった。

 歴史を振り返れば、武力で政権を取った者は、皆、崩壊、滅んでいる。唯一、天皇だけは、残るのである。

 これを、私は伝統と言う。天皇は、日本の伝統なのである。

 あらゆる瑣末なことさえ、伝統の枠から越えない。すべては伝統の上に成り立っている。文化というものも、伝統を土台にして成り立つもので、伝統から生まれないものはない。また、伝統のないものは一つもない。

 共産党が、遅まきながら天皇制を容認する姿勢を見せたが、遅い。気づくのが遅い。共産党の原理は、権威と権力を破壊して、新しい権威と権利を作るという、インドのシバ神に似た、魔界の考え方をする。しかし、その共産党も、結局は新しい権力を持ち、貴族を滅ぼしながら、上層部は貴族以上の生活をするという図である。また、古代を原始共産主義と言う者がいるが、あれは全く違う。古代は、共生主義であり共産主義ではない。共産主義は、目に見えないものを否定するから、崩壊する。

 天皇が日本の伝統であるから、滅びることがないと共に、歴史を振り返れば、天皇家というのは、民の尊敬を受けて成り立つ特別の家族である。

 天皇を現人神と言う表現を徹底したのは、戦争を好んだ軍部の策略であるが、彼らは、天皇も、自分たちと同じ人間であると、天皇の神聖を認めていなかった。ここで、わたしはっきりと言うが、天皇も現人神である。も、である。つまり、日本人は、誰もが現人神なのである。そこで、天皇は、国民の代表者としての、アラヒトミカミと言われる。

 天皇は国民の祭祀者であり、神と民の間を取り持つ役目がある。それは、天孫降臨した子孫であるからだ。それが、日本の伝統である。この伝統を崩壊させようとするということは、日本を崩壊させようとすることと同じである。

 私が言いたいことは、天皇は伝統そのものであるということ。

 天皇家は軍隊を持たない。つまり、権威のみで成り立っていた家族である。この世界に、軍隊を持たない権威者がいたとは、信じられないことである。

 勿論、一時的に軍隊なるものを持つこともあったが、それは、民を守るためのものであり、民を殺すためのものではない。

 歴史をしっかりと把握すると、天皇家の在り方が解る。

 ただし、偏狭な学者、研究家の話は別である。彼らは、天皇家を崩壊させるべく、仕込まれているからである。また、戦争責任云々の話が出るが、昭和天皇は、戦争責任を認めている。その証拠が、「私は、どうなっても構わない。国民を助けて欲しい」と言う言葉に現れている。

 天皇を鼻でせせら笑うような国民は、伝統を知らないからであり、それは、自己否定につながることを知らない不幸である。再度言うが、伝統の無いものは一つたりとも無い。伝統を無視すれば、それは天にツバする行為と同じである。

 広い世界で、権威のみで成り立つ天皇家というものは、日本にしかない。実質的に天皇には何の力もない。無力の天皇が、何故日本では天皇としてお護りされているのか。それが、伝統なのである。そしてその伝統は、天孫降臨という事実に基づいているのである。 いずれそれは証明される。また、いまだに天孫降臨がなかったということも証明されずにいるのである。見えるもの、書かれたもの以外を認めない者が、解るはずもない。