木村天山  日々徒然 バックナンバー  

 日々徒然63

 イラク復興支援に日本は、8800億円を出している。自衛隊がサマワの土地を使う時に、地元の地主と、金額の交渉で難航した。高すぎる金額を求められたのである。

 民族の差別をするのではない。彼らは、そういう民族なのである。底無しの金銭欲、所有欲である。

 善意は受けるが、人に善意を掛けるということを知らない。個人的に善意があっても、それは個人的なことに止まる。

 アラビアの国である。日本の常識と違う。

 砂漠の地では、生きるために人の物を奪うことを、何とも思わない。当たり前のことである。水を得るために人を殺す民である。それを、よく知っておくことだ。

 日本人の人質が解放された。イスラム聖職者協会に保護されて、ジュースのもてなしを受けた。それを見たイスラム通は、水とパンが、通常のもてなしであり、ジュースは、客人に対するものだと見た。つまり、相当な金が動いたと見る。

 そういうことである。

 彼らの貪欲さを日本人が理解するのは、大変なことである。何せ、声明で「イスラムは嘘をつかない」と言うのである。日本では嘘をつかないことが前提にある。彼らは、嘘をつくことが前提にある。

 日本人ボランティアが、貢献するが、それは個人的に感謝されるが、決して民全体が、感謝するのではない。どうせ勝手に好きにやっているのであると思っている。どんどん、やらせておけということであろう。

 自分たちが得することなら、問題ないが、自分たちから、人に得させることはない。

 イラクの格言「像が死ぬと骨は土産物になる」という。徹底した現実主義である。いかに所有するのかが、最大のテーマなのである。

 物に心が宿ると考える日本人には、彼らの物に対する思いは理解出来ない。彼らは物は物なのである。物はそれ以上にならない。

 イスラムのモスクには、何も物を置かない。偶像を嫌う。それも現実主義である。神はコーランと共にあるだけであり、物には宿ることはない。

 宗教的芸術は皆無である。

 アラブの格言を見る。「自分で用意できないものは、誰にもできない」「自分で考えろ。誰も脳みそを貸してはくれない」「自分のテントだけが倒れない」

 善人になる程、アホなことはないのである。

 他を理解することは、苦を伴うと私は思う。異質なものを理解するとは、異質なものを、受け入れるということである。理解しても、受け入れないということは、共生出来ないということである。同じ地球に生きている皆との共生を願うなら、異質なものを受け入れて、歓迎する程の器がなければ、成り立たない。