木村天山  日々徒然 バックナンバー  

 日々徒然64

 戦後60年を経ても、北朝鮮では、国民に、日本に対しての植民地時代の保証と、謝罪を求めることを教える。60年を経ても、60年前と変わらない成長振りである。私は、植民地時代を不幸な時代だと思うが、歴史を振り返れば、一時期、世界的に、そういう時代があったのであり、それは歴史の必然であることが理解出来る。

 まだ謝罪と、保証を求めるということは、永遠に、日本に物をねだるということであろうか。どこまでやれば、納得するのか。

 台湾の蒋介石は、戦後の日本からの保証を一言で受け取らなかった。「恨みに報いるに、徳をもってです」とその台湾は、豊かな国になった。

 いつまでも保証、謝罪せよという国が、どんな状態であるか。

 日本は、世界で唯一、原爆を投下された国である。しかし、それを敗戦国だから許したのではない。日本人は水に流せる心を持っていたから、許したのである。

 捕らわれ、拘って、いつまでも神経症の患者のように、ぐたぐたと昔語りをしない。その日本が、どれほど豊かになったか。

 私は北朝鮮を嫌う者ではない。北朝鮮も、日本と同じように、豊かな国になることを願う。そのためには、いつまでも、昔の歴史的必然を、恨むことなく、先に進むべきだと思うのである。

 食糧不足で、国が立ち行かない状態であることは、国として最悪である。国民に最低の衣食住を提供できないのは、ゆゆしき問題である。

 また、この時代に世界に孤立して成り立たせる国ということは、あり得ないのである。意固地になって、国民に、苦痛を強いて、孤立させるという感覚は、異常である。世界の情報は、至る所、誰もが享受出来る時代に、北朝鮮は、それを悪とする。ましてや、時代錯誤も甚だしく、言論統制をするという図である。

 日本人を拉致して、その罪を認めず、植民地時代の保証と謝罪を求めることが先決なとど、アホなことを、いつまで言うか。

 昔のことはいい、友好関係を持って、共に豊かになろうと、何故、考えられないのか。その底には、自分の国だけが豊かになり、自分の国だけが世界で最も強い国になりたいのだという、傲慢不遜の考え方があるのである。

 時代が地球国家の形相を呈しているのに、逆行しているのである。あまりにも稚拙である。誇大妄想のように敵を想定して、国民に喧伝する様は、愚かとしか言いようがない。 人が一人では生きられないように、国も一国では生きられない。相互扶助によって、生きられるのである。それに早く気づくことである。

 今は、どうしたって、他国の援助なしに、国として成り立たないのである。

 日本が徹底的に経済制裁をしたら、自滅するであろう。

 日本という国は、自国が滅びに瀕していても、他国に膨大な経済援助をしているのである。こんな国は、世界に一つとしてない。こんなに人の良い国はない。

 北朝鮮が胸襟を開いて、素直に友好関係を求めれば、日本はそれに答えられる最良の国である。七代祟るというような愚かな意地は捨てて、拉致問題を解決し、全面的に日本と友好関係を結べばいい。恨みを持たなくても、生きられるのである。日本は原爆の恨みを捨てて、経済大国になったのである。