みたび 日々徒然5 木村天山

 フランスで、市川海老蔵の襲名披露が行われ、連日満席、大入りであったという。また、ロシアでは、日本人のソプラノ歌手が、和歌を歌うという。ロシア人も、日本語で和歌を歌うコンサートだという。

 小さな活動は、まだまだあるだろう。これからの日本の世界に向けての活動は、こういうことである。つまり文化交流である。もう物ではない。日本の芸能、文化を持って世界に和事を伝えるべきである。芸術文化活動の別名は、平和活動である。

 それを無限大に広げるべきである。

 市川猿之助が中国の京劇と組んで舞台を作ったこともある。どんどんとそれを続けて欲しい。芸術活動は理屈抜きに、平和を生む。それを行動すればするほど、平和になる。

 武器によるものではなく、芸、術による世界との付き合いを、とことん実行する。そこに日本の存在意義がある。日本人は対立する民族ではない。自然との共生を神との関係と考える曖昧、輝く曖昧さを持つ、類い稀な民族である。それは、日本が島国であるから培った。その良さを持って世界の平和に貢献すること。最も理想ではないか。

 大陸の国は、いつも対立という考え方で、物事を考えてきた。すべて対立から始まるのである。最も心情的な宗教観にしても、大陸の宗教は、神との対立から始まる。日本の宗教観は、融合と共生から始まる。自然との共生が宗教であったから、対立という考え方がない来るものとの共生を実行したから、仏教も儒教も、中国思想とも融合して、国の精神を作り上げた。日本程、宗教の多い国はない。しかし、日本程、宗教の無い国もない。宗教に対する考え方が、大陸の国と全く違うのである。それは、一事が万事なのである。

 端的に言う。神棚があり、仏壇があり、結婚式はキリスト教式で等々、全く節操がない。この節操の無いという姿勢が、宗教が無いと言われる所以だが、私は、これが日本人の特性だと言う。つまり、宗教観が無いのである。それが日本の宗教観である。

 その底には、神道という伝統がある。八百万神と言うが、実は、千万神(ちよよろず)の神も、いやいや、神は限りなくいらっしゃるという考え方を持つから、ヤウエもキリストも、アラーもラーも、神なのである。それが何の問題もない民族なのである。

 欧米が観念とする宗教は日本には無い。

 日本には宗教ではなく、伝統があるのみである。今まで誰も言わないので、私が言う。

 限られた教義に神が在るのではない民族なのである。

 この特性は、21世紀の世界の平和に大いに貢献出来るということだ。

 茶道の家元が、神社仏閣に献茶するという作法を持つ。キリスト教国に出掛けた時に、教会で献茶をした。その神でなければしませんという、料簡は持っていないのである。これが平和的行為と言わずして、何を平和と言うのか。

 武力を持って他国を支配しないという、輝かしい憲法を持つ国である。世界の国が、日本を、そういう意識で見ること、それを善しとする日本人。理想ではないか。

 民族融合の手立てを持つ国であること。芸術と文化を持って世界に奉仕する国であること。日本は、そういう国に脱皮する。

 日本の精神が世界を平和に導くことが出来るということを、実感すべきである。

 昔、島国根性と言い卑下していた時代の識者、物知り等々、あのアホどもの亡霊を、私は祓い清めるのである。いまだに、そのアホどもの亡霊に憑依されているアンポンタンがいるが、若者は、そういうアホの話しは聞かなくていい。私の言葉を聞け。

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