日々徒然 8
木村天山 著
人気の低迷が続く短期大学のために、中央教育審議会大学分化会制度部会が、短期大学の卒業生にも、学位を授与するという文部科学省の制度改正案を了承したという。
アホは、いつまでもアホであるという証拠である。
今までは、短期大学生は、準学士という称号を与えられていたが、正式な学位とは、認められていない。ちなみに、大学は学士である。新しい名称は、短期大学学士であるという。これにより、外国大学への編入額が容易になる、高等専門学校の準学士と差別化を図れるということである。
称号より何より、大学の内容であろうと思うのは、私だけか。アホも休み休み言え。
魅力のない短期大学の問題は称号云々の話ではないだろう。大学が何を教えているのかであろう。そんな簡単なことが、何故解らないのか。
サラリーマン教授を首にして、いや一掃して、教授陣の新規体勢を図ることである。
お勉強の出来る者を教授にする時代は終わったのである。
創意工夫のない、創造力のない教授が何人いても、大学は変わらない。たいまいな給料を貰って、のうのうとしている大学の教授は、一掃するべきである。
学位という、アホらしい名称より、内容であることを、何故知らないのか、不思議でしょうがない。学位など、私でも出せる。
和芸宗家の私なら、学位よりもっと格好よい、名称を上げられる。この私をアホと思うなら、彼らはもっとアホである。
大学を作るのは、人である。学生も人である。つまり、人間教育なのである。それを忘れてしまたつけが、短期大学の魅力のないところだろう。
大学に行けない頭の悪い者が行く、それが短期大学である。また、大学に行く程のお金も無い者が行く。また、やることがないから、短期大学にでも行くかであろう。要するに、短期大学には、最初から魅力などないのである。青春の暇つぶしの場所なのである。
勿論、大学もそれに準じている。
何せ、アホな教授を沢山抱えて、一体、何をするというのか。はっきり言うが、彼らは、過去の遺物を持って授業をしているのである。もう、終わって久しいものを持って、一体何を教えるというのか。創意も工夫もない学問を、学問だと信じ込んで教える図は、哀れである。学問はいつも生まれたてなのである。
この言葉の意味も解らないであろう、大学の教授という社会的特権をもっているアホどもである。解るか、アホども。