みたび日々徒然 101

木村天山   

 

 郵政改革選挙という。

 小泉内閣が解散総選挙に出た。さて、誰に投票すべきかと考える。その前にである。最大野党の民主党について言う。

 立派な政治家がいるはずだが、民主党は、党内をまとめきれず、どうも信頼出来ないのである。その大元は、旧社会党の連中にある。彼らは、自民党政権の時に、野党として、野党を善しとして、対立を演じてきた連中で、実際は何の実行力もなく議員になっていたという、議員でしか生きられない者の集団であった。

 立党の時は、大きな希望と未来を見つめる目があったことであろうが、万年野党を続けているうちに、政界という化け物に飼われてしまったのである。

 それでは、他の野党はと言うと、共産党は名ばかりであり、庶民の党を任じているが、党幹部の党であり、話にならない。彼らは何一つ、実績を持たないのである。信じられないが、そうなのである。しかし、他の実績を自分の実績であるというウソに長けていて、空いた口が塞がらない。共産思想という宗教と同じ信仰に生きるアホどもであり、それに気づかず、宗教は迷いであると言うなど、アホも程々にせよと言いたいが言わないでおく。 旧社会党の社民党はと言うと、形だけ残った滓で、どうにもならない。憲法9条を守るというだけで、念仏のように唱えているのが関の山である。

 私が、憲法9条を守るという意味と、天と地の差があるのである。憲法9条を守り、日本の防衛をどうするのかという話が一切ないというのは、現実感覚全く無しで、理想主義というより、平和ボケしているのである。それで議員を、よくぞ勤められるものである。

 政治家であるという妄想に取り付かれているのであるから、治療が必要であろう。

 さて、それでは、自民党はどうであるのか。

 清濁合わせ飲む連中であるが、今は、政治家のための政治を行う者が多く、すんなりと受け入れられないのである。中には、日本のためと働く者もいることはいるのであろうが、あまりにも数が少ない。

 日蓮仏法を主に、創価学会の支援を受ける公明党は、明確なところが理解しやすく、真っ当であろう。ただし、日本のためにというより、日蓮仏法のためという大義にあるというのが、不安である。つまり、日蓮仏法により救われるという一神教にある、断定と迷いがある。人は、百人百様であり、救いというものも百人百様あるということを知らない。勿論、知らないから、真摯に活動出来るのであろう。

 仏法でも、多数の入り口がある。それを、身に染みて知ることが、更に日蓮仏法なるものを理解する手立てになる。

 この選挙に投票するということに、私は悩む。自分が選挙に立候補出来れば、それにこしたことはないが、如何せん、物理的に無理であり、選挙に出るお金も無い。

 野党に投票つもりがなければ、与党である自民党か公明党であろう。ところが、私の選挙区の自民党候補を私は知らない。知らない人に投票は出来ない。一対一で会わなければ、その人を理解することは不可能である。演説では、解らない。口では何とでも言えるからである。

 選挙の度に、本当に考え込んでしまう。

TOP PAGE   各種エッセイ目次  みたび日々徒然 目次