みたび日々徒然  13

木村天山 著  

 事ここに至っては、事終わりぬというところだが、微かな希望を抱いて言う。

 戦後のデモクラシーという耳触りの良い言葉に乗せられて、日本は、その伝統と礼儀作法を失い、今はアメリカの10年前を行くという体たらくである。自由の国アメリカを見習う者、逆に共産国のソ連や中国を見習った者、共に嘘であったと言うことである。すでに死人に口無しになってしまったが、その残骸が残っている。

 その愚かさは、日本を知らないという一言に尽きる。そして今も、日本を知らない輩が跋扈しているという悲劇と不幸である。

 歴史は精神である。日本人の精神は、日本の歴史にある。その歴史から学ぶものがないとした、愚か者たちの残骸が今も残っているという不幸である。

 共産主義、いやいや、もっと根本から言う。マルクスという人間は、単に策略に乗せられて嘘を書いたのである。あの深遠複雑に感じられる言葉の連なりを見れば解る。策略に乗せられて書いたもので、嘘である。嘘を本当と信じて、奉じた数多の人々である。今も、それはいる。

 特に、教育の現場にいて、信仰しているから救われない。日本の歴史に照らして考察してみれば、一目瞭然なのであるが、日本の歴史を知らないから、終わっている。

 主権在民という、新しい思想のように見える自由主義に乗せられて、ここまで至った。日本は、もとから自由な国であったのである。それを知らない。

 いや、皇室、天皇が主であり、天皇によって支配された云々というアホは、歴史を知らない。この世界で最大の伝統を持つ家系が何故、今もって生き残っているかといえば、それは国民に支持されたからである。事は単純明快である。天皇というのは、国民と一緒であった。まつりごと、つまり祭司を行う家系であり、それは国民の願いを実行する家系であった。それを解釈するのに、西洋の歴史哲学、思想等をもって考えるようになったからおかしくなった。何から何まで欧米の考え方をもとにして考えるようになり、解釈するようになってから、事の真相が曲がってきたのである。

 日本には学ぶべきもの、誇れる歴史はないと信じた者共は死んだ。が、それを継承している愚か者が、まだまだ大勢いる。

 ここではっきりと言っておくが、現在の文明が現れたのは、5000年程前であると言われる。日本の歴史は、遥遠く、列島が大陸から切り離される12000年前から始まっている。勿論、霊感の無い学者に解るはずもない。ここで言う霊感とは、特殊な能力のことではない。細心の注意を払う、知ることに対する心得である。

 知ることは、知らないことが何であるかを知ることである。自分が知ったことから、知らないことの多さに気づく者が学者たる所以である。

 知ったことを誇っているアホな学者は、学者もどきであるということだ。つまり、何も知らないのである。針の穴程のことを知って、知ったと思う愚かさである。

 例えば、下らない知識の無い、無位無官の市井の人々の方が、体感として、日教組の嘘を見抜いているという現実である。それを語ることはないが、日教組という大馬鹿者どもの愚を、身をもって知っているという事実である。それは知恵である。時に、アホや馬鹿者は、知識というものを振りかざすが、微塵も知恵を持ち合わせていないのである。

 よく聞くがいい。日本の金融機関は、ある一部の民族に牛耳られて、今、国体さえも乗っ取られるという事態に直面している。そういう事態を招いた罪は、重すぎる。

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