みたび日々徒然  16

木村天山 著  

 歴史教育、教科書問題に言う。事実は真っ当に教えるべきである。自虐的歴史教育であったと言う意見も、理解する。アホな教師が多数いて、私の世代も、自虐的歴史観を教えられた。だが、それでは、日本軍が行ったことを削除して良いという訳ではない。日本軍が行ったことも、日本が他国に行われたことも、事実として教えるべきである。

 歴史は、多角的意味がある。日本の侵略政策によって、独立した多くのアジア諸国もある。独立を促したという経緯もあることを観る。

 歴史には魂がある。その歴史に促されて行う愚行もあった。

 世界の理想である日本の平和憲法は、その大きな犠牲の上にたった世界の願いであることを、教えるべきである。

 一方的な自虐史観を教えられた世代が、今の社会の中枢にいるという不幸。教育とは、いかに恐ろしいことか。それゆえバランスが取れない多くの中高年である。一方では、平和ボケ、一方では軍備強化を求める危機意識。

 歴史教育で最も大切なことは、民族の考え方の違いである。大陸の国々と、島国日本の考え方は、あまりにも差がある。そして、それに伴う宗教観である。異教に対して人として認めない程の、その過激的考え方を教えなければ、理解出来ないことが多々ある。

 砂漠の国では、水が日本の石油のように感じられることなど、信じられない価値観がある。道徳、常識でさえ、逆転することが多々あるということをだ。

 歴史教育は、そういうことである。他民族からの攻撃が極端に少なかった日本の歴史。民族の最初から国の無いことでさ迷う民族等々である。

 知識は認識を深めるためのものであり、歴史は、その一端と、そして伝統という知恵を伝える大切な時間である。

 この文明は5000年前から始まったと言われるが、そこから、延々として侵略と戦いの時代が続いた。何故か、それを見詰める時間が歴史教育である。

 先に歴史には魂があると言った。日本の歴史にも魂があり、その過程を見詰めると、歴史によって作られた歴史があると理解出来る。歴史の魂とは、必然性である。

 太平の世を築くという元での戦国時代から、徳川260年。そして明治維新。そこにも歴史の魂が感じられる。

 何があったのか。それを正しく教える。正しくとは、一方的史観ではない。歴史史観というものではない。事実をである。それ以上の僭越的な教育を避ける。後は、教育を受けた者が決めることである。たがそう言うと、アホが史観の無い歴史は無いと言うだろう。事実も史観によって変わると言うだろう。それに対しては、省略する。話をしている暇は無い。

 歴史を冷静沈着な眼で観るという行為を促すこと。はっきり言うが、それが出来ない教師は、辞めるべきである。国語と歴史は教育の要である。

 自虐史観をもって歴史を教えられた世代の不幸は余りある。日本に誇りを持てないどころか、その精神も自虐して、愛国心と聞けば、即座に拒否の姿勢になる。日本は世界で唯一愛国心の無い国であるとは、世界の常識である。歴史は心の歴史である。私の内に歴史がある。歴史は外側の問題ではない。私の内の問題である。

 先祖無くして、私は存在しない。その先祖を無くせば、自分の身も無いことになる。今までの歴史教育が、そうであった。もう、責任を誰に問うことはしない。

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