みたび日々徒然 23

木村天山    

古代の人は、自然に神を観た。生きるということそのものを自然から学んだ。自然は人間の先生だと言える。

 風には実体が無い。それを自然の心と捕らえた秀れた感性を持つ。自然を敵にするのではなく、自然との共生に生きた列島の民族、日本人は自然に融け込んで生きた。

 自然災害があれば、まず祈りを捧げた。荒らぶる神を鎮めるために祈る。それは感性である。原始的行為と言うのは易いが、その謙虚さを思い出したいものである。

 12月5日は、北海道では大雪、関東では強風と、また真夏日であった。今年の自然災害は、台風、地震と被害も大きく、考えさせられること多々あり。

 古代の人の感性に戻って考えてみる。

 まず、我に何か過ちがあったのかということ。そして、神が何を伝えているのであろうかということ。

 科学は台風の発生のメカニズムは分析するが、その根本の理由を問えない。風の発生する理由は解るが、何故風が起こるのかを知らない。そこに何故風が起こるのかである。

 命の分析をするが、命の在りかを知らないのである。命のメカニズムからクローンなどの技術を開発するが、それも命の元があってのこと。命、そのものは作ることが出来ない。ちなみに、クローンの考え方は、魔物のものであることを言う。それは生き物とは、物質と霊から成るということを知らない魔物の考え方である。

 さて、何故自然がこれ程、荒れるのか。自然は地球を母体にしている。その地球の意識と想念が自然を促す。端的に言う。地球の想念に一番影響を与えるのは、人間の想念である。動植物の意識、また想念は、地球の意識と想念に沿ってある。しかし、人間だけは自由に意識も想念も持つことが出来る。

 荒ぶる神の本体は、人間の意識と想念である。

 これは、欧米の思想である自然支配によるものだと言える。自然を支配するという考え方で進んできた彼らへの警告である。だが、それを受け入れる器を持たない。そういう考え方が出来ないのである。

 それに日本も追従して、ここまでに至った。さて、これからどうするのであろうか。このまま自然支配の思想に乗っ取り、まだ進むつもりなのであるのか。本来、日本は自然共生型の民族である。それを、この150年程、大きく歪めてやってきた。

 自然に優しくともっともらしく言うが、何一つ、自然に優しくない。地球の意識と共感することもない。自然を支配出来ると思う傲慢に、気づくことなくいるのである。

 今こそ日本は、自然共生の思想と感性を世界に向けて訴える時である。

 とは言え、そんな教育も人材もないのであるから、これは掛け声になるばかりである。

 人間は破壊の魔物に支配されて、自分たちで、自分たちを破壊させる物まで作ったのであるから、推して知るべしである。そして果てることのない戦いを続けるという愚である。 ほんの僅かな人の利益のために、人の意識と想念が乱されているという事実に、私は唖然呆然とするばかりである。

 戦うという意識は魔界で起こるものであるから、この世は、魔界に支配されているのであろう。そこから抜けることなくいるということは、すでに魔界と考えてよい。

 私は言う。気づく者は気づくことである。そして、自然に聴くことである。一人が始めることからしか、方法は無い。

 

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