みたび日々徒然 30

木村天山    

 私はコンサート主催者であり、プロデューサーである。

 その私は、受付をし裏方をして、コンサート会場を走る。時には、舞台に挨拶で出る。ピアノの蓋の開け閉めもする。

 通常の感覚では理解出来ない行動をしている。それは、私に能力があるからである。一つのことだけのみで、精一杯の人もいる。そういう人は、私の行動を理解出来ない。

 舞台で挨拶するというだけで、もう何も手が付かない人もいる。私は違う。何から何までする。そして、それを善しする。それは私の能力である。

 何を言いたいのかと言えば、時代は、そういう風に変わったのである。

 会社の社長が、のうのうと社長室に座っていて、もう成り立たない時代なのである。社長が直接お客に接して、お客の声をじかに聞く時代なのである。

 つまり、多元的な能力かなければ、成り立たない時代になったのである。

 勿論、一つのことで精一杯の人は、それでよい。それしか出来ないのだから、何をか言わんやである。

 能力を最大限に生かすこと、これが人生を生きるということである。死んでいる人間が多々いるということである。

 自分の能力に気づいていない人も多々いる。出来ないと決めつけているのである。死ぬまでそうして、生きているのであろう。哀れである。

 使える能力は最大限に生かして、なんぼのものである。

 生きるということは、動くということである。死ぬということは、動かないということである。生きながら、死んでいる人が大勢いる。それを私は、悲しむものである。

 若いころから私は、多くを成してきた。それを見て、アホは、一つの事に邁進出来ないと一流にはなれないと言う。それは能力がない人のことである。一つの事しか出ないで、一流になっている人もいるが、そうでない人もいる。また、一流とは、人が判断することで、私のことは私が判断するから、人が何を言うのかは、全く関係ないのである。

 私は、今出来ることを即実行するという、私のやり方を善しとしている。万事がそうである。

 主催者が受付にいて、悪いことは何もない。逆に良い事づくめである。お客様の率直な感想から反応から直に知ることが出来る。舞台裏を見ていると、芸人になれずに、もたもたしているアホのことも、よく解る。

 事は、単純明解である。

 出来ることをする。これが人生の最も大切なことである。出来ることをしないのは、死んだ方がましである。無常迅速が世の常であるから、無常迅速を乗り越えて行くのである。 

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