みたび日々徒然 46

木村天山    

 

  イラクではテロ行為が収まらない。それどころか、益々激しくなっている。最初は、アメリカに加担する者をということでのテロだったが、今では、無差別テロの形相である。同胞をテロで殺しているといえる。

 イラクには、テロリストが潜在していたのであることが解る。つまり、イラクはテロリストの国だった。それはテロリストを養成する国と考えざるを得ない。

 英米のイラク攻撃を反対する立場だったが、今は少し違う。これ程のテロリストが潜在していたとして、それを温存していたイラクという国に、不信感を抱く。

 いまさら、何を言うと言うなかれ。軍事攻撃で一番被害を受けるのは、一般市民である。結局、市民に被害が及び、悲しむことになる。軍事攻撃に反対するのは、まずそれがある。イラクの市民に深い痛みを覚える。

 それは変わらないが、このテロリストの活動を見ると、イラクがどんな国であったかを見るものである。

 テロリスト道場のような国であった。

 このままにしていたならば、いつかそれは表に現れる。それを、今回の軍事攻撃で表に出したとも思うにつけ、複雑な心境になる。

 そしてイスラムという宗教の特質である。同じイスラムでも、宗派によっては、徹底対立するという、排他的、非寛容である。アジア、シルクロードに広がった仏教が、根こそぎイスラムに滅ぼされた事実がある。仏教の慈悲の思想は、もろくもイスラムに飲み込まれたのである。そういう思想的基盤の中で、テロリストは、益々育ちやすいと思われる。

 テロリストも排他的、非寛容だからである。

 今、テロリストたちは、イラクの選挙妨害をしている。つまり、イラクを通常の国の姿にしたくないという思いである。テロリストが潜在出来る国でなくなるのを恐れる。

 様々な考え方があるであろうが、テロリスト、テロ行為ということでは、許されない。思想、信条のためには、平気で人を殺すという行為にである。それを避けるために、歴史は四苦八苦して、対話を中心にした問題解決の方法を探ってきたのである。それを破壊する行為である。

 今イラクでは、潜在していたテロリストが姿を現している。膿みが出るように、表に出ている。毎日毎日起こっているテロに、これはすべて出し切るまで続くと思われる。

 テロリストたちの希望は、イラクの分裂と国の体を成さない姿であろう。自分たちが居やすい場所を確保したいのであろう。

 英米軍のイラク攻撃から始まったものであるが、ここまでテロリストがいたことを、それによって現されたと思うと、複雑な心境なのである。

 正しいとか正しくないとかの話ではない。これが、世界の現実の闇なのであるという思い。人種と人類の無明を感じる。

 あのままフセイン政権がテロリストを温存させていたらと思うと、恐怖であるし、また軍事攻撃には反対であるし。そこで、再び、アラブという土地を考え直すのである。

 テロリストを潜在させ、また温存させるという土地。それは、もっと深い問題なのかもしれない。あの地の文明の問題として考えることが必要なのかもしれない。

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