みたび日々徒然 56

木村天山    

 サッカー日朝戦のマスコミの感想は、スポーツの爽やかさを満喫したものだと言うが、それを言うなら、日本人のスポーツに対する姿勢と、その礼儀に爽やかさを感じたの誤りであろう。日中戦は、どうだったか。スポーツの爽やかを感じたか。中国人民の日本に対する憎悪抜き出しの行為は、爽やかだったか。スポーツが爽やかなのではない。スポーツをする者、観戦する者の爽やかさであろう。

 北朝鮮国歌が流れると、総立ちの日本人サポーターからも自然に拍手が湧いた。終われば、選手たちは健闘をたたえ合う。北朝鮮の選手たちは、日本人サポーターにも手を振ると拍手が返った。

 それは、日本人サポーターの礼儀正しさであろう。そして、スポーツと政治的思惑を別にして楽しむという、理想的な在り方だったのだろう。

 拉致問題を始め、魔界のような国にでも礼儀を尽くす、正すという日本人の精神を、爽やかであると言う。これを、別の名で言えば、これこそ神の国の有り様であろう。

 神、神と叫んで、人殺し、憎悪と復讐に励む神の国の民より、日本人の方が、秀れて神の国の人間であることが解るというものである。

 日本には、宗教が無いと言われるが、実に宗教的民族である。神を意識しない程、神と共にあると、私は考える。

 さて、次の試合は6・8金日成競技場でという。今度は、逆の立場に立つ。果たして、彼の国の人民は、どのように日本の選手を迎えるであろうか。

 私は言う。十分に注意すべきである。

 中国と同じように、何をするのか知れたものではない。

 偏狭な思想によって成されている人民である。日本人サポーターは、くれぐれも注意すべきである。甚だしい場合は、あちらの警察に捕らえられ、スパイ容疑をかけられる事もあり得る。要するに、国際常識等々、何も通用しない国なのであるから、当然である。

 能天気に街など歩くものなら、何が起こるかしれない。競技場からホテルで、精々にしておくに限る。

 亡命を希望しない人民は、それだけ特別偏狭な教育をさせられているのである。戦後補償が済んでいないと言う者共である。永遠に金を払い続けても、戦後補償は済んでいないと平気で言う人民であろう。そう教育されている。

 さてまた、2月11日、APテレビのインタビューで彼の国の政府の代表は、深層心理から言えば、アメリカからの攻撃を望んでいるような口ぶりである。「我々を攻撃しようとしているかどうかが問題なのだ」とは、裏を返せば、早く攻撃して、国を崩壊させてください。もう、この国は限界なのですと言うように私には聞こえる。

 核開発を宣言する心の裏には、もう先がないのである。要するに、国としての理想も、行くべき先も見えないのである。限界を通り越しているのである。イラクのように、アメリカが攻撃してくれれば、人民が一丸となって、アメリカに挑み、自滅したいということであろう。先行きが全く見えないと、自滅を考えるという、自明の理をゆくのである。

 私は、2004の秋に、彼の国は崩壊したと予言済みである。

 

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