みたび日々徒然 67

木村天山    

 「日本核武装の選択」中川八洋著では、大変恐ろしいことが書かれている。

 「マルクス・レーニン主義は、ソ連の国内の政治体制や経済体制を律する絶対的教義(ドグマ)であったが、侵略を含む外交、軍事についてはいっさい伝統のロシアのそれであった。レーニンもスターリンも、その外交、軍事に関しては、伝統的なツーァリ(ロシア)時代からの「南下政策」といわれる膨張主義のロシア固有のやり方を何一つ変更しなかった。」とある。

 核兵器については、ロシアは「いつでも一千個以上の水爆を日本全国に同時投下する態勢」あるという。ちなみに、北朝鮮は五個程度、中国は百個以上を日本の主要都市に向けていると言われる。ロシアは、約一万個の核を保有し、その内の一千個が日本に向けられているらしいのだ。

 さて、ここで現状を考えると、そら恐ろしくなる。単なる平和を唱えても、それは日本の国内の話で、周辺諸国は、そんなことは、なんでもないことであるという現実である。 ロシアでは、人命が極度に軽視されているという。核戦争をためらうものではない。今日まで核戦争を起こさなかったのは、西側諸国と核を撃って勝てる見込みがないからであるという。

 念仏のように平和を唱えても、通用しないということである。

 では、日本の平和憲法の精神は、風の前に吹き飛ぶかと言えば、そうではない。その前に、日本の平和憲法も、アメリカの核の保有のお陰であると言うことも出来るだろう。いや、その通りである。しかし、私は言う。少なくとも、日本の平和憲法は、世界の人々の理想であり、願いであり、祈りであると。

 アメリカの核の傘下にありながら、何故私が、こう言うのかは、私の霊学からである。 もし、核戦争が始まれば、地球は、無くなる。果たして、そんなことを、本当に実行出来るであろうか。相手をたたき潰し、我も潰されるという愚かな行為を成すであろうか。また、日本のみに核を向けて、日本のみをたたき潰しても、それが、世界の人に受け入れられるだろうか。

 核戦争後の地球に住めると思えるだろうか。その前に、地球は破壊されるだろう。

 日本の平和憲法には、神の意志がある。高祖高宗の天照大神の意志である。

 周囲の人間が、皆武器を持つが、一人だけ武器を持たずにいるという図を想像してもらいたい。平和を求める場合は、その素手の対応が求められる。

 武器を捨てよと言っても、我が武器を持っていては、その言葉は無に等しい。

 私は、単なる理想を言うのではない。世界の人の99パーセント人が望む平和を具現化した憲法であると言う。平和への強い想念が、それである。

 この世は、人の想念によって成る。霊学から、それを断定出来る。想念ということが理解出来なければ、事の起こりは、すべて動機から始まると言う。動機がなければ、事が始まる訳がない。戦争の動機の無いところに、どうして戦争が起こるであろうか。だが、歴史は、戦争の歴史であった。そして、これからもそうであると考える人がいて当然である。それでも私は言う。平和憲法は、神の御心であると。もし、それが成されない場合は、この世は崩壊する。地球そのものが無くなる。私は言う。人を殺傷する、あらゆる武器の元は、魔界からである。想念が魔界を引き寄せて、神に対抗する図だ。

 人命軽視の魔界の国々を相手であろうが、私は、核武装に反対すると言っておく。

 

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