みたび日々徒然 82
木村天山
世界的ギタリスト、世界のギタリストの憧れ、ペペ・ロメロの演奏を聴いた。東京オペラシティタケミツメモリアルホールである。
見事な音である。深みがあり、一音、一音が、何と心地よいのだろう。私は、眠気を覚えて、何度か眠った。
世界的ギタリストである。当然、技術的には、完成に近いものがあるのだろう。
私は、一部が終わるとホールを出た。もう十分だと思ったからだ。
素人の私は、まず、ロメロのギターの質を思った。あれ程の音を出すギターであるということ。そしてそれに見合う、技術である。大層なギターを使用したと思ったが、ギタリストの千葉真康に、あれは作り立てのギターであり、もし他のギタリストならば、スカスカの音になるだろうということだった。ああ、それでは、ロメロテクニックとは、また大変なものなのであろうと、感心したのである。
だが、私は言う。あの大ホールでのコンサートは、日本人だから、我慢して聞けるのであると。私は、座席に縛り付けられているような形で聴くのは、もういい。
ましてや、眠気を催す程の上手な演奏である。御免こうむりたい。
巨匠だから、満席になるのであろうが、何とかならないものか。
申し分ない演奏を聴いて「感動」するとは、誰もが言う。誰もが言えば、私は言う。ロメロのオーラを感じたい。そしてそれは、ただ演奏して、感動させるという技ではなく、例えば、舞台でずっこけて、笑いを取って欲しいと思うような、オーラである。
もっと言えば、英語でも、スペイン語でも、曲間にお話して、リラックスさせて欲しい。 あれは主催者のお金儲けであろう。と、良くないことを考えてしまう。
大ホールでも、聴かせられるという技は、良く解る。それ程の技術を持つロメロさんなのであろう。それは解るが、私には、オーラを感じさせるコンサートにして欲しいと思う。舞台を聴くとは、CDでは感じられないオーラを感じるために行く。
聴くだけならば、CDで良いのである。
日本一のビオラダ・ガンバの演奏を二時間半聴かせられた時も、吐き気がした。いくら巧いと言っても、あれはない。二時間半も、座席に縛り付けて、コンサートかと思った。拷問に近い。音楽を楽しむ慰められるのではなく、音楽に責められるといった気分だった。 何にせよ、音楽の元は、食べたり、飲んだりしている間、耳に心地よく入ってくるものであり、聴くことを強制させるものではない。
聴くことを強制されて喜んでいるのは、精神的に、どこか病んでいるとか、特殊な性癖の持ち主であろう。
音楽で、踊ったり、心地よく体を揺らしたりするのが、本当である。それを、じっと座席に縛り付けて聴かせるという、その根性が理解出来ない。
座席に座っていても、自然に聞けるのは、見るという行為を満足させて、見るということで、動いているからである。
私は、あんなコンサートはしない。病人だらけのお客のコンサートは、他の人に任せる。 オーケストラならば、見るという行為をも満足させるものであろうと思う。私は聴かないが、そうであることを願う。客を縛り付けるコンサートがいつから始まったのか、これから調べてみたいと思っている。
だがしかし、ペペ・ロメロは素晴らしい。