みたび日々徒然 86

木村天山   

 そろそろ声を大にして言う。

 国会議員、その他様々な選挙にて選ばれる議員は、公僕である。つまり、国民の地方の人々の召し使いを、進んで立候補して成った者である。

 議員が先生と呼ばれて、意気揚々としている図は、哀れである。

 民主主義でも社会主義でも、共産主義でも、何でもいい。要するに、国のために働くという意識を持って成る者である。

 まあ、社会、共産主義の場合は、国よりも、主義が大切なようで、どうも理解出来ないことが多いが、それらだって、日本国民の一人であろう。本当に社会、共産主義を信奉するならば、ロシアや北朝鮮、中国に亡命、あるいは、帰化するであろう。日本にいるということは、日本国民でありたいと言うことであろう。唯言えることは、権利ばかりを主張して、何も行わないというのが、今までの状態であろから、知れたものである。

 私は、自民党を支持する訳ではないが、今までの日本をリードしてきたのは、矢張り自民党である。その中には、多くの問題が山とあるが、それはこれから、正してもらいたい。 これから、私が声を大にして言うことは、議員は、国民の僕であるということである。そして準じて、官僚、公務員である。

 道府県が、お手盛り退職金を廃止したという。ようやくの決断である。この現在の一般人の生活を見れば、それは当然過ぎる程、当然の決定である。

 そしてもう一つ言う。公職である教職員である。日教組という、魔界並の組織に指導されて、とんでもない議論を話題にする。例えば、愛国心教育について云々である。どこの国に、愛国心教育の意義を論じる国があろか。馬鹿馬鹿しいにも、ほどがある。そんなことを議論している暇があるか。といっても、公立学校は、日教組の魔界の指導を受けて、自分たちが公職にあることを忘れて、色々な価値観があるのだと、国歌、国旗に敬意を表さないという、傲慢不遜の態度である。

 イスラムの国に出掛けて、その国の国旗、国歌に敬意を表さなければ、殺されることを知らない。日本は、殺さないから、平気で、個人の考え方を尊重せよと言う。アホである。先生とは、学校に在っては、公職である。

 心得違いも甚だしく、諭すことさえ、力無くなる。

 そんなことが出来るのは、日本の法律が素晴らしいからである。言論の自由等々、そのアホな行動も、一理あると認められるからである。

 命に危険の無い守られている場所で、傲慢不遜に出来るという幸せを、しみじみと感じて欲しいものである。それらがまだ、悪魔であるスターリンの教えに信奉したりするから、笑う。マルクス、レーニンなどのウソ八百の教えを、大事にしているから笑う。

 私はこれから、祖国愛を訴える。愛国心イコール国粋主義、右翼、軍事化、戦争という貧しいイメージしか思い浮かばないアホどものために、祖国愛を謳う。

 家庭、地域、そして国という、連鎖する血縁とも言える関係から発する、祖国愛である。それは、伝統にあり、祖先が築き上げた、貴い国に至る。それを教えずして、何を教え、伝えるというのだろうか。

 私の霊学を持ってしても、日本という国は、霊的伝統を有する類い稀な国である。

 霊的伝統とは、神道である。神道は、宗教の枠に嵌まらない、宗教を超えたところの、民族の伝統所作である。神社神道をいうのではない。いずれ、追追書くことにする。

 

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