みたび日々徒然 90

木村天山   

 

 「悪心」という感情がある。胃の不快感のことではない。

 ある日のこと、線路を渡るための橋に上がるエレベーターが故障した。使用する者の誰かが通報して、私は一時間後に、そこに行った。修理の人の話を聞くと、誰かが、エレベーターを降りた時に、傘をエレベーターの扉の上の透き間に差して行ったとのこと。それが故障の原因だった。

 悪心のある人は、普段、善人面をしている。

 自分の人生の思い通りに行かないことや、自分の不満を、世の中に捨てる人の心を「悪心」ある人と言う。

 今、この悪心を持つ人が多い。普段は善人面をしているから気づかないが、人知れず、とんでもないことをする。不特定多数の人に迷惑になることを、平気でするのである。

 黙っていても、現在、この世は、ストレスにまみれている。抑鬱状態の人、強迫神経の人、それはそれは多い。世の中に、情という感情が皆無になってのことである。他の国ならば、それが当たり前でも、日本は、社会に情があふれている国であった。

 それが廃れて、人は多くのストレスを感じるようになっている。

 原因は何か。それは、拝金主義である。

 昔から、拝金主義はあった。しかし、今は、同じ拝金主義でも、金さえあれば、何でも許されるという、異常事態が起こっているのである。金で、思想や主義まで変更する。

 金がすべてであるから、金の無い者、稼げない者は、屑なのである。

 金を得て、無作法になる者が、後を断たない。金をかさに、愚かしい言動をしても、許されるという愚行を、世の中は許す。どんなに稚拙でも、金のある者に、跪くのである。

 私は、魔物に見入られた人と言う。金は魔界が支配する。つまり、この世の中は、魔界が支配する世の中になったのである。しかし、金によって社会生活が成り立つのであるから、手段として、金を得なければならない。手段として魔界の支配から、逃れるのである。ところが、魔界の支配に屈して、金を目的とする者が出る。そして、それらが、世の中から羨望されるから、終わっている。

 「悪心」の元は、拝金主義にある。

 例えば、私は成功を、やりたいことをやり続けることだと知っているが、この世は、成功とは、金を得ることを言う。金を得て始めて、成功したと言う。どんなに、立派な技術や芸を持っても、それが金にならなければ、成功とは言わない。そういう世の中である。それは、つまり権威の無い世の中であり、金という権力が生きるのみである。権威のない社会は、低俗、卑猥になる。

 大人がそれであれば、当然、それは子供に影響を与える。権威のない教育現場にいる子供は、哀れである。低俗、卑猥な大人の社会に、子供は権威を見いだせず、尊敬する者の姿も見ない。これ程、不幸なことはない。しかし、それを誰も、正そうとはしない。

 金という魔物に支配され、魔界に操られても、この短い人生を平気で生きようとする。私は、転生を知っているから、その姿に哀れを覚えて、悲しむのである。

 この宇宙は、頭脳の働きにあるのではなく、心と魂の働きにある。金を目的にしていた人が、心と魂の宇宙に戻る時、大変な衝撃を受けるだろう。つまり、魔界に支配され、魔界に飲み込まれている自分の姿を見て、仰天する。しかし、因果応報、自業自得の世界が宇宙であるから、それは、自分で解決しなければならない。それは、地獄の業苦に似る。

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