みたび日々徒然 96

木村天山   

 

 終戦60年である。

 戦争を知らない世代が多くなった。この60年間、日本は戦争をしていないという事実に驚嘆する。先の大戦は、300万人以上の死者を出して、日本は負けた。

 たった一度の負けが、何ほどの物かと言う人もいる。愚かな行為であると言う人もいる。 だが私は、現実に起こったことには深い意味があると考える。

 これ程の犠牲者を出した戦争に意味がないことはない。もし、戦争をせずに過ごしていたらと考えてみるとよく解る。また、もし日本が負けていなかったらと考えると、よく解る。犠牲者を出して負けたことの意味は、あり余る程の意味がある。

 平和ボケの日本人と言われるが、平和ボケしていられるという幸せは、何にも替えがたいのである。

 歴史には、歴史魂という意志がある。私は戦争も、歴史魂の試みだと考える。

 戦争に負けたことにより、日本は多くの物を得たのである。世界の中の一国という意識は、必要であった。島国に出来上がった性格を、世界に向けて発する時に、世界の言葉を知らなければならない。戦争に負けたことにより、日本は成長したのである。

 あのまま勝ち進んで行けば、日本はすでに崩壊して、無くなっていたであろうと思う。 負けたことにより、国としての日本を維持出来た。だが、これからも維持出来るとは思わない。それは歴史魂が決めることである。

 歴史は大いなる流れの中にある。

 戦争に負けたことにより、日本人は、日本人であることを、身をもって見つめ直すチャンスを与えられた。民族主義を超えて、世界の中の日本であることを知った。これは大きな目覚めである。それによって日本人が得たものは、融合という精神であった。

 アメリカに迎合し、ヨーロッパに迎合し、白人に迎合して、卑屈になる程、彼らの文化哲学思想を取り入れて、着慣れない服を未だに着て、迎合を続ける様は哀れであるが、それも必要なことであった。

 自国の歴史を悲観し、卑屈になり、否定して今の日本を成り立たせてきた。

 多様な価値観を知ったということは、世界人として必要なことであった。

 日本は、これからどこへ行くのかは、すでに決まっている。日本という国が無い世界へ行くのである。融合の精神は、世界の一員として、世界に染みてゆくのである。持ち前のたゆたう精神、曖昧さが、世界の中に埋没して、日本の心が、世界に溶け込んでゆく。それでいい。

 私は日本人の精神、心、魂は、平和の「和」以外の何物でもないと、知っている。

 日本人のそれが、世界へ広がり、飛び火すれば、日本のそれは、世界の平和の種として生き続ける。それでいい。

 歴史を観ることである。国が崩壊し、滅び去るのに、一日もいらない。

 多くの大国が、一夜にして消滅した事実を観るがいい。

 私は、歴史学を学ぶ学者に恨みも辛みもないが、彼らが一番知らないものは、歴史魂の意志である。歴史は、人間が起こしているという傲慢からは、歴史を理解することは無理であろう。歴史魂とは、ある力が働くのである。それは人知では計り得ない大いなる意志である。彼らは分析はよくするが、それ以上の物ではない。その証拠に学者は歴史に参加出来ないのである。哀れである。

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