時事放談 1

木村天山

 イスラム教予言者ムハンマドに対する風刺漫画に対する抗議行動の激化が続く。

 ついにタリバンが、漫画家の殺害に褒賞金として、金百キロを与えると言う。また、デンマーク、ノルウェー、ドイツの兵士一人の殺害には、金五キロを与えると言う。

 「アラーこそ唯一の神、予言者はムハンマド」と声高く抗議するイスラム教徒である。

 大使館や、領事館らも火を放つ彼らは、正義と信じている。何せ、聖戦という意識であるから、手に負えない。

 異教徒に対する戦いを聖なる戦いとして、イスラムの学校で教える程である。

 いずれにせよ、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教は、争いが好きな集いである。元を正せば、同じ神を奉じていてもである。

 共に、旧約聖書の神を信奉している。

 単細胞的思考回路は、三教徒に共通する。唯一の神とは、恐ろしい物である。これは、平たく言えば、私のみが正しい。私のみが人間であると言うことである。

 歴史は、長く白人支配が続いた。勿論、今でも、続いている。白人以外は、人間ではない。白人は、黒人が飢えようが、黄色人種が飢えようが平然としていられる。そして、唯一神である。

 手の付けようがない。

 では、彼らと、どうのように付き合ってゆくのかである。

 

 日本の伝統的所作がある。

 あらゆる神を認めて、共に拝むという行為である。

 それにより、我らの神が怒ることもない。八百万神たちは、そんなことで怒ることは無い。八百万とは、自然に充満する神の働きであるから、一向に他の神と言われるものを拝んでも構わないのである。勿論、高祖高宗の天照も太陽に象徴されるように、すべてを照らすものであるから、怒ることもない。

 神武天皇は、大和を平定した時に、元からあった神々をすべて祭っている。欧米ならは考えられないことである。

 あちらは、戦いに勝つとまず、その地の神を破壊する。そして、我らの神を拝めと強制する。

 仏教が日本に入ってきた時の、日本人の対応は、自然体である。物部と蘇我が戦ったというが、あれは氏族争いであり、仏教はダシに使われただけである。

 あの頃は、氏族連立政権の時代であるから、大王(天皇)と言えども、氏族を無視することは出来ない。多く、蘇我氏が強く支配していたのである。蘇我馬子の父親、蘇我稲目が仏なるものを持ち込んだ。

 その他、半島からやってきた者の多くが、仏なるものを持ち込んでいたのである。例えば、仏師鞍作止利の祖父である。

 それはそれは、貴い神であると、日本人は迎え入れた。その後の進展は、見ての通りである。仏教国と言われるようになったのであるから、仰天する。

 神道という言葉も、仏教に刺激されて作られた。それまでは、単に先祖に連なる大先祖という意味合いである。

 実に、寛容で、排他的ではない。曖昧でたゆたう精神を有していた。

 民族の心の有り様が、根本から違う。日本が、世界平和の使者になれる訳である。

 キリシタンが入ってきた時の、あの排他的なキリスト教の教えを信じた者が、どれ程、為政者に抵抗したかを見れば、よく解る。

 何より、ゼウスが主であり、それは将軍や天皇より大切であり、ゼウスが認める支配者を認めるという非寛容である。ローマのパパ様を慕うという、とんでもない偏狭な教えを受けてしまった。そしてあの、悲劇である。

 世界史上、類い稀な迫害の様であった。

 ローマ法王は、日本を属国とするべく、イエズス会を派遣した。兎に角、支配下に治めるという考え方であり、欧米の思想をもってしては、またイスラムの思想をもってしては、世界に平和は無い。

 日本の伝統的思想を持ってして、初めて世界の平和が実現する。

 唯神(かんながら)の道とは、共感と受容の心なのであり、大和魂とは、大いなる和の心、つまり、平和の心なのである。対立概念を持たない日本の伝統的考え方である。

 後に、儒教も道教も、なんなく入ってきた。そして、それを信奉する者もいる。それも受け入れて、なお、日本人に慕われる、八百万神(自然神)たちである。

 日本には、欧米で言われる宗教とい考え方は無い。日本に宗教は必要ではない。

 唯神の道である。

 欧米の宗教学なるもので、計られるようになって、唯神の道が、偏狭に考えられるようになったことは、ひとえに、馬鹿アホ間抜けの学者たちのせいである。

 彼らは、霊界にて、徹底的に反省を強いられているはずである。最も理想的な神奉りの有り方を有していた日本の神奉りを理解せず、欧米の考え方で批判、解釈したのである。さぞや、先祖たちに、叱られているはずである。

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