時事放弾 6 2006/8/16
木村天山
日本に仏法はあるか。
日本仏教、及び日本の仏教系の新興宗教に、仏法は有り得ません。
最後の仏法は、中国の三蔵法師が立てた、法相宗で終わりました。
ですから、仏教とは名ばかりで、仏法と言いつつ、全く仏法とは異質のものです。
仏法とは、仏陀の教えた法であります。それは日本に伝わった時点で、仏法では無かったと言えます。
悲しいことに、それを日本の仏教家は知りません。
仏というもの自体、仏陀のオリジナルです。
久遠の仏なるものは無い。仏は仏陀で始まり、仏陀で終わったのです。
教学、教理、教義というものは、すべて人間が考案したもので、それらは相対的なものでしかありません。
仏陀亡き後、500年後に仏典が書かれます。その間に、仏陀の言葉は歪曲され、新たな意味付けがなされて、仏陀の教えという妄想に始終して、挙句の果てに、仏陀の最後の教えなる仏典も出来上がり、末法思想と合間って、とんでもない思想を生み出してしまったのです。
仏陀が一言も言ってないことをもって、仏法だとは、詐欺でしょう。
誰が言い出したのか解らないような、ウソを世に掲げて仏法とは、あまりに愚かです。 もし、本当に仏法を生きるのであれば、霊感に導かれて、仏陀の言葉を探り、それを行為するのみです。
人は行為によって成る、とは仏陀の真実の言葉です。
それ以外の何物も無い。
日本に流れてきた仏教なるものは、すでに大乗という、新しい思想に汚れたものであり、耳障りの良い言葉で、信者を獲得するためのものでしかありません。
時に、聖徳太子と言われた人は、仏教思想によって日本という国造りを行おうと行動しましたが、彼の死後、彼の子孫は、皆殺しにあっています。
私の霊学から言います。
インド魔界の神々が、日本の仏教という教えと共に上陸します。
仏陀在世当時の仏陀の教えは、一つのみ。心の有り方であり、慈悲の行為のみ。
それ以外の何物でもなかった。仏陀は、理屈を最も嫌った一人です。
バラモンの教えに影響されて、続々と、インドの仏教は派閥を作ります。あたかも本当である如く。上座仏教とか、小乗仏教といわれているものに対する在家の仏陀信奉者が、大乗仏教を唱えたと言いますが、それは魔界の神々の策略に乗ったのです。
最初は盛んになった大乗ですが、仏教国と言われた土地は、すべてイスラムに取って代わられという事実を見ると、イスラムの魔神の方が勝っていたということでしょう。
シルクロードの仏教国は、皆、イスラム教に改宗しました。
いずれにせよ、仏教は、インド魔界のバラモン教等々に、徹底的に占領されて、マントラとか曼陀羅のような、摩訶不思議なものを仏陀の教えに注入して、仏陀の教えに遠い仏教を創作したのです。
例えば、私は空海という人を尊敬しますか、彼の真言密教は仏陀の教えに似ても似つかないもので、全く仏陀の教えとは関係ないものです。
密教でいいのです。仏教ではありません。
それならば、浄土宗、浄土真宗、禅宗、日蓮宗等々も、同じであり仏教ではありません。 浄土教であり、禅教であり、日蓮教というならば、理解します。仏教ではありません。
仏という妄想は、ただ事ではありません。
梵天というバラモンの神に対抗するように作られた新しい神の名前であり、今では仏陀までも神と取り込んでヒンドゥー教があります。
仏教で言うところの天上界の思想は、インド魔界のことであり、仏陀の思想とは、全く関係ありません。
日本の仏教は、すべて中国式の仏教であり、名のみの仏教です。要するに仏陀とは関係なく、人間が作り上げた思想です。中国では、仏典を創作もしていました。自分の都合の良い仏教の教えということです。仏の名を借りて、自分の思想を表現したもので、それが日本に輸入されて、益々、混迷を深めたのです。
鎌倉時代、精神的活動が活発になり、仏教の形を通して、それぞれが自分の考え方で、生き方を説きました。それが鎌倉仏教であり、仏教と言うよりは、宗旨ということでしょう。宗門とも呼び、あの時代、宗教という観念はありません。
空海も最澄も仏教に似たものを輸入したのですから、そこから派生したものは、仏の教えに遠いのです。
大乗経典から、浄土教、禅教、そして法華経から天台教と日蓮教が出たのであり、仏陀とは全く関係ありません。
経典に即した新興宗教ということになりますが、経典自体に信憑性がありません。仏陀とは関係ないものです。
それでは、これから仏陀の教えを、どのようにして学ぶかと言えば、学ぶ方法はありません。そんなことは必要ありません。
仏典研究は、事後預言のようにして解説されてあります。
その解釈を、現代の学問、哲学等々に当てはめて解説するのです。例えば、般若心経という身近なお経を、様々な世界から解説します。実は、こんな凄いことが言われていると。それは事後預言と同じなのです。
あえて般若心経を持ってくる必要は無いのです。
法華経なども、色々な解説がありますが、すべて事後預言の形です。要するにウソです。 そろそろ仏という妄想から、自由にならなければ、いつまでも職業僧侶にお金を巻き上げられるだけです。また、仏教を名乗る新興宗教の餌食になるだけです。
永遠の仏陀などありません。仏陀は、2500年前に亡くなりました。それでいいのです。理想的妄想はもうお仕舞いです。