時事放談 9 2006/8/18
木村天山
どうしたら、このような考え方になるのか、不思議でしようがない。
国民のための政治を考えていると言うならば、どうしてこうなるのだろうか。
06年5月18日、高齢者に負担を強いる「医療制度改革法案」である。貧乏な年寄りは死ねということである。
そして、5月からのビール税、7月からのタバコ税。さらに来年から、所得税、住民税の低率減税廃止である。年金給付金削除、保険料引き上げ。介護保険料値上げ。国民の負担を増やすことが、国民のための政治か・・・
財務省の馬鹿者共は、このままでは、消費税が22パーセントになることもあり得るという。それを聞いても、国民は呆然とするのみ。こんなアホな国民もいない。
誰のための政治なのか。
大銀行は大儲けしてゼロ金利という・・・万事休す。
金融自由化、規制緩和、市場開放して、都心の不動産は外資系つまり、ユダヤに買いあさられ、ゴルフ場の半分以上も外資系になっている。実に、郵政民有化もアメリカの「年次改革要望書」を突き付けられて実現したものである。
何も、小泉の考えではない。
アメリカの51番目の州となる、日本である。
いっそ、アメリカに取り込まれてアメリカになった方が良い。
沖縄の人は、日本よりアメリカの時の方が良かったと言う。何せ自由で、楽だったと。
格差社会到来であると言う。誰がしたのか。政治であろう。何が、格差だ。自分たちでしておきながら、何が格差社会だ。
政治家は無料奉仕せよ。でなければ、政治家になるな。公務員は、いらない。民間がやる。国の法律を作る者は、皆、無報酬で国のために働くのである。どうして、そう考えないのか。
政治家になるのは、何故か。国のためではなく、自分の実入りのためであろう。兎に角、政治家は金になる。そして官僚もである。
公共事業の見返りで得るお礼を、政治家も官僚も貰う。100兆円を越える。税金である。そして、天下り先の組織に、どりだけの税金をつぎ込んでいるか。それを受け取るのが誰か。
予算が足りないのではなく、もっと国民の金が欲しいのであろう。はっきり言え。
国民は、生かさず殺さず・・・徳川家康の考えたことである。当時の国民とは、農民である。彼は、生かさず殺さずと、支配した。徳川300年とは、笑わせる。
誰のお陰で食っていたのか。
何故、国会議員に厳しく対処しないのか。
それは潜在的に、お上意識が残っているからである。国会議員と聞くと、ははっーと頭を下げるような、潜在意識がある。
総理大臣とは、確かに大変な職務である。何せ、政治家の利益追求に心労するからである。それを、どうごまかして、国民のためと言うかである。
政治家とは、ウソをウソのようではなく、本当に思わせる詐欺師である。
国民が、政治家を詐欺罪で訴えてもいい。
国民のためにと言いつつ、国民のためになっていることがあるか。
私は革命を起こす。
孤立無援の革命である。
手初めは、横浜市の西区に住んでいるゆえ、区役所の改革である。昼休みを無くする。いつでも、区民のために窓口を開けている状態にする。
そして横浜市である。そして神奈川県である。
選挙のだひだけに回る政治家を直接叩き切る。選挙カーを止めて、論戦し、国会議員に成れる者ではないことを言う。私に適う者はいない。透視するからである。
議員の報酬を求めず、国民に奉仕したい者だけに議員になって貰う。つまり議員の特権を受けない者のみである。
議員の報酬、及びその特権を受けないという者のみが議員になるとしたなら、今の議員は、皆、一掃される。
要するに、その程度であるということだ。報酬が無いなら出来ないというのであれば、それは国民のためではないということである。
国のために働きたいと最初は思っても、金を見れば、迷うのである。魔物に迷う者は、政治家に相応しくない。
おわかのか、アホな国民よ。その程度が議員をやっているのである。
そして、それでは議員報酬を貰わないから議員になるという者が現れる。巨大新興宗教がバックにある政党である。資産、1兆円程あるその教団である。
日本は、そこまで追い詰められたのである。その政党の議員が大勢で、日蓮仏法という妄想で、日本を支配するだろう。
以下省略する。