時事放談 10 2006/8/24

木村天山

 靖国問題について言う。

 これ以後、このことは書かない。馬鹿馬鹿し過ぎるからだ。

 兎に角、最初に靖国問題を取り上げたのは、中国か韓国か。

 どちらでもない。日本のマスコミである。

 寝た子を起こしたのである。それに、靖国のことは、中国も韓国も、意識になかったといってよい。関係ない問題であった。

 それに火を点けた日本のマスコミである。そして、そのマスコミが、茶番のように、首相参拝を解説し、批判し非難するという図である。

 呆れて、物も言えないのである。

 

 誰が、何が問題なのか。

 日本のマスコミは、NHKも含めて、中国や韓国の子飼いの舎弟のようである。驚愕する。一体、何を考えているのか、理解出来ない。

 日本が嫌なら、中国でも韓国でも亡命するとよいとは、私の言い分である。

 それぞれ国には、型という作法があり形という、作法を応用した礼法がある。

 今、国家神道など消滅しているはずであるが、国家神道の亡霊、または、妄想を持って考えに及んでいる者共がいる。アホも休み休みである。

 

 私は言う。

 人が死ぬと、霊界に入るか、幽体のままに、この世に留まるかのどちらかである。

 戦争で亡くなった方々のすべてが、霊界に入っているとは、信じられないのである。未だに、南の島に残る遺骨の主は、幽霊として、漂っているであろう。

 そういう人に、一つの方向を示して上げることも必要なことである。それが靖国神社でもいい。靖国に行くことで、漂うことなければ、靖国という神社に留まればいい。

 これが共産党政権だと、即座に靖国神社は解体されるだろう。すると、幽霊は、およそ上空、一メートルから二メートルを漂い、あのロシアや中国のような、不気味な波動を持つ国になるだろう。

 靖国が嫌ならば、そうして共産党に政権を持たせればよい。しかし、共産党は、まもなく解体するであろう。共産、社会主義が、いかなるものか、とくと理解出来たであろう。余程の馬鹿でない限りである。

 

 政治家にも、宗教家にも、ただ今、霊を供養するだけの徳は無い。これは断言出来る。 出来ないものにせよと言っても無理な話である。

 戦没者の霊位は、皆、それぞれの家系にお戻しすればいい。後は、家系の因縁で、それぞれ行くべきところに行く。

 兎に角、霊的なことを知らない連中が、どんなに議論しても、何も分からないのである。 

 いずれ靖国で逢おうと言って無くなった人もいる。もし、少しの恩情があれば、思いやりがあれば、そうして亡くなった、それも国のためにである、そういう人がいるということである。

 自分の信じる宗教や心情を超えたところに、それぞれの思いがあることを知ること。それが最も大切なことである。それとも、自分の宗教でなければ、自分の方法でなければ絶対に駄目と言うのであろうか。

 それなら言う。この世に絶対なものは無い。あると思うのは、妄想であり、マインドコントロールされているのである。

 神を信じる、仏を信じるのは自由であるが、神や仏は、この世にいない。あの世にもいない。一つだけ私が認められることは、人の心にいるというならば認める。

 つまり、一人一人の神や仏というならば、納得する。皆が一緒に向かう神や仏は、あり得ない。

 このことは、大切なことなので、いずれじっくりと書く。

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