時事放弾17 2006/9/6
木村天山
今年、06年上半期のリフォーム被害は、150億円。何と、今までの3倍増の24305人の被害である。
昨年同月比27.2%の増である。。
これはどういうことか。被害が少なくなるというならば解る。多くなったということは、そのニュースで、俺もやるという馬鹿者がいるということである。被害者のトップは高齢者、認知症の人である。とんでもない。
私は怒り心頭である。
弱い者をいじめるのは、政治家と官僚と相場が決まっている。せめて、庶民は助け合うことであろう。それが、政治家や官僚に便乗するとは、信じられないし、許せない。
こんなことをしていると、誰も信じられなくなる世の中になる。いや、すでになっている。児童を狙った犯罪も後を絶たない。
マスコミのアホな識者たちは、口々に言うが、誰も痛みがない。いい気なものである。自分の子供が被害に遭ったら、あのようなコメントは、無い。
私ならば、七代祟るという。
川崎でマンションから投げられて死亡した子供がいた。
犯人は誰でも良かったと言う。万事休すである。
こういう時代になったのである。しまいに、精神鑑定により、判決がどうなるのか、云々と言う。死刑である。死刑でなければ、話しにならない。精神異常であろうが、責任の取り方がある。
意味の無い殺人でも、死刑を反対するという、人非人がいる。死刑が人非人であろうか。この世の罪を死によって贖うのである。十分に意味がある。
今、庶民が協力しないで、どうする。
高齢者を騙して、ゆっくり眠られるか。
だが、私は本当のことを言う。実は、世の中、魔界転生の者が、約七割いる。非情な性格であり、考え方である。人は利用するものであり、人を助けるという意識に欠ける。
その中には、動物から転生した者もいる。人間の心を持つには、千年の転生が必要であろう。信じる者は、信じるがよい。
どう考えても、動物の犯行であると思われる事件がある。
都会に住む親は、幼稚園児から携帯を持たせるという。居場所を確認するためである。 世の中は、末期的症状である。
誰も、それを止められない。何故か、道徳が廃れたからである。
道徳教育を、思想教育であり、それは教育の現場でするのは、云々という馬鹿な組織がある。何度も言うが、教育とは、読んで字のごとくではない。教育とは、強制である。ゆるやかな強制である。
動物を訓練する時に、どうするのか、思い出して欲しい。強制することによって成る。人間も動物である。強制されなければ、何をするのか解らない。
人間性という、甘えた言葉があるが、ウソである。人間に人間性があれば、もっと良い世の中になっている。人間に人間性などない。強制によって、かろうじて保たれる。
誰もに、心があると思うな。心の無い者のいる。確実にいる。
そうでなければ、認知症の高齢者の財産を狙うということは無い。
それで得た金で、彼らは、何をしているのであろう。食事、セックス、南の島への旅行。それでは、私が天にかわって成敗する。
思念により、彼らの心に安心という救いを与えない。