時事放談23 2006/9/16
木村天山
皆が、煩いので、私が言う。
天皇の戦争責任についてである。
当然、天皇に戦争責任はある。
ただし、戦争を裁く者は、この世にいない。一度たりとも、人と争いを起こした人のない者が、裁けと言う。
天皇は日本国の国体である。
つまり、天皇は、国民である。すべての国民の総体が天皇である。これは、伝統である。 もし、裁ける者がいれば、日本人であれば、すべての人に責任があり、なおかつ国体である天皇には、当然責任がある。
何ゆえに、戦争の裁判が行われたのか。専門家に、詳しいことはまかせるが、負けた国の言い分など、誰が聞くものか。あの裁判は、裁判と言えるものか。
だから、私は言う。
誰とも争いを起こしたことのない者が、裁けと。
どこの国とも戦争をしたことのない国が、裁けと。
敗戦の時に、生きていたということが不思議である。
誰も、皆、自害して果てるはずであった。それが、そうではなかった。ということは、皆が戦争をしたかった訳ではない。
何を、どう言おうが、国体が戦争を成したのならば、敗戦により、自害して果てるべきである。
糞の役に立たない者が、すでに日本人だったということである。
私の父も母も生きていた。
少年、少女の時期である。
沖縄、樺太では、全員、自決した者がいる。
それが当然であろう。その意気での戦争であろう。
負ければ、どんなことになるかを知っていたはずである。生きて辱めを受けるなら、死を選ぶ、それが日本人であり、大和魂であった。
大和魂については、多々書いているので、省略する。
あの、戦争に負けて良かったという人の声を多く聞いた。当然であろう。その後の日本は、実に平和を甘受し、経済的に恵まれ、世界の中でも、上流階級の生活を築いたのである。結局、そういうことである。
貧すれば鈍するとは、古人の知恵の言葉である。
豊かでなければ、何も始まらない。暇でなければ、哲学も思想も、宗教も生まれない。 苦難を求めて拓いたと言うが、それが結果的に、人生の充たしであったろう。何も無い人の顔ほど、アホ面は無い。前頭葉も、考えなければ、動かない。
あの当時の状況を鑑みれば、天皇でなくとも、戦争を容認する。
人間とは、愚かなものである。