時事放談 25 2006/9/21

木村天山

 いかなる言論に対しても、言論で戦うこと。これが、進化した時代の鉄則である。

 言論に対して、暴力により言論行為を傷つけることは、何人も成してはならない。そのこと言って、以下を書く。

 06年、9月4日の毎日新聞に、天皇の戦争責任について、長崎市議会にて、責任ありと述べ、銃撃されたた前長崎市長、本島等さんのお話しが載っていた。

 小泉さんの靖国参拝に対して「よくないに決まっている」との答えである。

 その中でまた、戦争に勝つためには、部下を死に追い込み、どんな犠牲をはらってもいいのだという発想が軍の指導層にはあった。部下は、A級戦犯の犠牲者、と言う。

 その前に、小泉さんの、小中学校時代の、平和教育が足りなかったという。

 ここで、果たして、日教組が正しく平和教育が出来るのかという疑問が、生ずる。何せ、愛国心の教育は、思想、良心を束縛するものであり、到底受け入れられないと言うのである。彼らが、平和教育を成すとは思えない。

 また、平和の反対は、戦争ではない。

 他国が侵入してきた時、戦うことも必要だからだ。

 防衛意識のない平和は無い。

 今、防衛のために戦うなどという奇特な人は、いないだろう。

 

 彼は、戦争指導者になった縁、部下になった縁を知らない。誰もが、A級戦犯になる得ることを知らない。

 天皇の戦争責任については前回いったので言わない。

 小泉さんの参拝を「よくないに決まっている」とのい言い切りに、私は不信感を覚える。悪い、善いと、区切り分けることで、明確になるが、問題は、そんな簡単なものではない。 簡単に答えが出れば、もう少し、何とかなっている。

 つまり、日本の伝統を知らない者が、何を言っても、的外れになるということである。天皇の責任は国民に帰するもの、国民の責任は天皇に帰するものであることをしらない。

 彼は、カトリック信者であると言う。仰天する。

 あの極悪非道のローマ法王を認めるということであろうか。

 歴代、ローマ法王が成してきた悪行の数々を知ってのことか。民族の皆殺しなど、朝飯前に成していた、カトリックの責任者ローマ法王に関しては、何も言わないという矛盾である。

 キリシタン弾圧がなければ、日本がローマ教会の属国になっていた可能性もある。

 

 老人のヒステリー状態では、いけない。よくないに決まっているとは、無謀な言葉である。小泉さんの行動の評価は、後の人が決める。

 時が変われば、絶賛されることもあろ。

 最後に、巨大なナショナリズムの影がある限り、言論の自由をつかまえ切ることはできないのではないかと言う。

 ナショナリズムとは、民族主義ということであろうか。とすれば、民族主義の何が悪いのだろうか。

 端的に暴力行為に訴える、右翼団体であると言えばよい。

 ちなみに、毎日新聞の掲示板では、この手の取材を申し込むと、断られると言う。つまりテロ行為が怖いのである。自分だけであればいいが、家族等を巻き込まれた場合を考えるのである。

 こういう恐怖が、一番良くない。

 暴力行為に訴える、右翼団体を認めてはいけないし、また、暴力行為を、徹底して排斥するよう、皆で言論を立ち上げることである。

 

 右翼も、左翼も、暴力行為を肯定する限り、皆の心をつかむこと出来ない。

 それならば、暴力団になった方が身のためである。

 例えば、加藤議員の家を全焼させた者は、右翼団体の者であった。小泉さんの参拝を批判した結果である。こうなると、批判が出来ない恐怖が起こる。これを起こしては、自由が台なしになる。自由を侵す者は、日本の天神地祇に背く者である。

 はっきり言うが、日本の天神地祇は、他国の神とは違う。高天の原神界に連なる神々である。くれぐれも注意して欲しい。

 他国と違うと言った。それは、この高天の原神界は、平和の神界であるからだ。暴力で事を成した者は、決して、この日本の神界に入ることは許されない。

 お解りだと思うが、この神界は、どんなに相手が暴力的であろうが、決して暴力にて応えない神々である。相手が怒る時は、静かになるのを待つ神々である。

 神ではない。神々である。

TOP