時事放談 26 2006/9/21

木村天山


 毎日新聞、06年9月5日、朝刊の社会面を見る。

 二つの時代を象徴する事件がある。

 岡山で小6が、同級生を刺すとある。また、新潟では、三男が母親をバットで殴り、殺人未遂である。

 そして、大きく堀江、ホリエモンの証券取引法違反と、粉飾決算報告である。

 全面無罪を主張しているという。つまり、自分は問題の外にいた。経営者は別の者ということである。この問題に関して、自殺者が出ようが、平然としている様は、魔人、魔界の者としか思えない。要するに、悪気が無い。反省も無い。ここまで平然としていられるのは、親を平気で殺す者に似る。

 

 内容は面倒なので、省略するが、堀江は有罪になる。

 信じられないの一言である。

 以前、オレンジ共済問題で、有罪判決を受けても、国会議員を辞めなかっ者がいたが、神経を疑う。しかし、魔人とあれば、納得する。以後、私は、魔界の者と考えるようになった。悪気が無い。反省も無い。

 通常の神経ではない。

 善悪等々、人間の有り様が、見えないのである。本人達は、至って元気である。

 多くの人を傷つけ、あるいは、自殺にまで追い込んでいるとしても、平気なのである。その無神経さは、もはや、救いようがない。

 

 法で、裁くしか方法がない。情けないの一言。

 子供の問題は、どこにあるのか。

 これから、益々増えるのであろう。

 終わった後で、反省するというのは、まだ解る。自分が何をしたのか、後で理解する。泣いて反省するというのも、子供である。しかし、何故、そこまでになってしまうのか。新潟の三男は、毎日、母親に勉強しろと言われていたことが嫌での犯行である。

 どこの家庭でもあめことだろう。それが、殺人の手前まで、いや殺人までゆくということの、行動である。

 これから母親は、いつ子供に殺されるかを恐れて暮らすことになる。

 こういう状態を地獄と言う。あの世に、地獄があるのではない。地獄は、この世にある。 

 いろいろな識者が、色々な意見を言うが、根本的なことは、自然との接触である。自然共生、共感によって生きてゆくはずの人間が、自然消失、自然隔絶している故の問題である。それでは、時に、自然に触れさせてと思うが、そんなことではない。

 自然とは、心の中のあるものである。心の中に自然を失ってしまったのである。

 非常に不自然な生活を送っている。

 心の自然とは、何か。

 心に広々とした風景を持つことである。

 それでは、心とは何か。心とは、呼吸である。息の正しさを心という。

 息遣いを整えることが、心を整えるという。心は、胸の前にある。目には見えぬが、円やかにして、ややハート型である。そこから、脳の前頭葉に働きかける。

 心は記憶である。記憶の中に、広々とした自然を持たないのである。

 一日、二日で成るものではない。育ち、環境、教育、習慣によってなるものだ。

 

 子供は大人社会の縮図であるという人がいるが、否定はしないが、それだけではない。大人社会への警告であるという人もいる。

 一つ重要なことは、子供は、未来を生きるということである。つまり、子供の行動は、未来を予知したものである。

 子供の行動は、未来予知であるとすれば、未来の姿が理解出来る。

 これを、そのままにしておくと、いずれ老人は殺される。

 自分に必要ないもの、余計なもの、嫌なものは、殺せばよいということになる。

 排除の思想である。

 最後は、自分以外を排除するという考えに行き着く。それは証明済みである。ナチスや共産主義による、大量殺人は、そういうことである。

 それが、戦争や紛争という大事ではなく、身近な場所で起こるということである。

 ホームレスを襲う少年たちも、同じである。その傲慢不遜な行動は、社会の一部の人の心の有り様を写す。

 少年たちのように、襲うことはしないが、すでに、心でそうしているのである。そういう人々が確実にいる。

 六本木ヒルズに行けば、そういう者たちで、いっぱいであろう。

 この世は、魔界が支配する。そして、この世は、地獄である。

 これを知ることを悟りと言う。宗教家の妄想ではなく、現実が、そうなのである。

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