時事放談29 2006/9/25

木村天山

 紀子様に、男子誕生である。

 私も一人の国民として、喜びたい。

 ヤフーの記事を読むと、アホが、これを機会に、この制度(天皇制)を考える機会にしたいと言う。このアホは、社会主義や、共産主義の、かぶれであろうか。

 だいたい、そういう連中は、人を殺しても平気である。いずれ、これについては、実際的な状況と、歴史的見地に立って言う。

 天皇家のマイナス要因ばかりを追求すると、本質が見えなくなる。

 私の、独断と偏見を、まず言う。天皇家は、無駄である。しかるに、天皇家の存在は、日本の国に、無くてはならないものになっている。つまり、今、日本の顔として考えた場合、天皇に変わる顔は無い。皆無である。

 

 あの、礼儀作法は、この私でも舌を巻く。2600年以上を積み上げた所作には、適わないのである。あれ程の、立振る舞いを見て、感動しない方が、馬鹿だ。

 あれ程の立ち居振る舞いは、一朝一夕に成るものではない。それだけでも、文化的価値がある。文化という言葉を好む社会主義、共産主義である。その裏で、人殺しをするが。 

 私は言う。イギリスの王室等々と、天皇家を比べても、無駄である。本質から違う。イギリスの王室は、海賊の出である。そして地主である。今の天皇家は、実質的に、何も持たない。ただし、天皇家が廃止された時のことを考えて、それなりの財産は、保証されているばすである。

 だが、今の日本も、これからの日本も、益のある無駄な存在である天皇家を潰せば、国が無くなる。天皇家を無くした後の日本を想像すればいい。何も、無い。

 国民のために、という言葉が、私には、実に空しく響く。

 国民とは、誰であろか。一人一人のことであろう。そんなことを、いつまで言うのか。民主主義、主権在民など、夢のまた夢であろう。国民が主権であろうか。この馬鹿な国民である。自分の利益のみを求める。

 天皇家は、天皇、皇太子と、3億以上の維持費を使う。その程度で、この顔を維持であるとは、見事である。

 天皇のみである。我が利益を考えることのない存在は。そして、天皇のみである。日本中に、考えが及ぶのは。こういう存在者を有する国が、いかに、精神的に余裕があるかということである。

 

 私のことを考えても、自分の周囲の人の心配、幸せを祈ることで、精一杯であるが、天皇のみは、国民の心配をする、国民の幸せを祈る。このような、存在が、どこの国にいるのか。少し考えれば解ることである。

 国民を餓死させても、軍備に金を費やす国を見ても、そう思う。ちなみに、その国は、軍事国家であり、共産主義を奉ずる。

 国民のことなど、考えていない。誰も、一人一人の国民のことなど、考えない。支配者層のための、国民なのである。

 この国に一人でも、一人の国民の悲しみを理解する人がいるという、贅沢である。それを天皇は負う。

 他の国の王室とは、発生過程が違う。

 この発生過程を、アホな学者に任せて置いた体たらくが、これである。

 国民のためになるのかを考える時であると、大袈裟に言う。

 書いている本人は、国民というものを知っているとは思えない。国民にすべてを任せていたら、国が潰れる。

 天皇という存在によって、辛うじて、国の形を保っている。それを知らない。

 国民のためとは、何か。

 この慈悲深い私でさえも、国民のためなどとは、考えられられないのである。

 国民とは、書いている本人なのであろう。

 

 身近な例で言う。

 学校が学生のためという時、それは学生のためではなく、学校のためのことを言う。子供たちは、それを察知して、反抗する。はっきりと、学校のために、こうして欲しいと言えば、子供たちは、納得する。学校にいる間、我慢すればいいと。

 それを、お前達のためだと言うから、子供は反応する。

 もっと言う。親が、子供に、お前のためと言う時、それは親のためであるということが、大半である。

 親の心の安心のために、子供にお前のためだと、説教する。馬鹿馬鹿しい。

 子供は社会に放てば、いやがおうでも、七転八倒して、人生を知る。

 

 さて、言う。

 歴史を知らない者は、己を知る事が無い。

 天皇家の歴史を見よ。2600年以上を維持してきたということの、意味深さを。

 長ければ、いというものではない。が、この家系が経てきた歴史は、そのまま日本の歴史である。

 そして、最大の天皇家の国民に対する貢献は、民族の命である言葉である。

 天皇家は、お歌の家元である。

 お歌とは、言葉の世界である。それを維持し続けてきた。

 見事である。

 江戸時代まで、地域の人々が、それぞれの殿様の元で、暮らしていた。日本国という意識さえなくである。

 それが、天皇の存在により、国家を意識したのである。百姓から漁民まで。国家を意識することが出来たのは、ひとえに、天皇の存在である。

 戦争は、それを悪用したものである。

 私は、日本が無くなってもいいと思うから、天皇家が存続しなくてもいいと思うが、そうすれば、日本人は、流浪の民となって、世界を放浪するであろう。

 ただし、日本という国が無くなれば、世界の平和は無い。民族対立、宗教対立を超えて、人々の幸せを祈るという伝統が天皇家であるから、それを無くせば、世界の平和は無い。天皇を戴く世界であれば、平和は実現する。ちなみに、天皇家の神祭りは、神道である。神道は宗教ではない。伝統である。欧米の野蛮な思想による宗教観など、日本には、皆無である。

 流浪する元日本人は、あの懐かしい、日本という国を求めて、世界をさまよい歩く。

 そして、そして、天皇の存在していた頃の日本を求める。

 そんなことは、馬鹿でも解る。アホでも解る。

 解らないのは、賢いと思い込んでいる、真実アホである。

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