時事放談30 2006/9/25
木村天山
耐震データ偽造事件である。
姉歯元1級建築士の初公判が始まった。
検察官が読み上げた被告の調書である。
「大地震はめったにこないので、その時まで金を稼ぐことは可能」
「圧力を受けて改ざんを始めたわけではない。すべて金を稼ぐため」
「経済設計のできる建築士だとおもわせたかった。改ざんすれば年収が多くなり、感覚がまひした」
私利私欲と新聞に載る。傍聴していたマンション住民は、言葉を失うとある。
偽造により、年間2100万円を売り上げ、850万と650万の外車を購入し、愛人とのテート代で月15万円を消費したとある。
誰もが、することであろう。驚くことはない。皆、この程度である。
被害に遭った人は、最後の住まいとして、財産をすべてつぎ込んだという人もいる。
人の不幸の上に立っての、偽造である。しかし、誰が彼を裁けるのか。
皆、同じようなものだろう。誰もが、その立場にいれば、する可能性はある。
その証拠に、三菱自動車偽装報告事件である。
初公判から、二年を過ぎて論告求刑公判が6日、横浜簡易裁判所で行われた。
「日本を代表する企業の役員らが隠蔽体質を改めず、全国民にかかわる道路交通の安全をないがしろにした」
「動機は企業の営利追求と地位の存続」
「二年以上も公判を継続させ、事件の風化を狙っている」
「真摯な反省や自浄は期待できず、再犯の恐れは高い」
ハブ欠陥とクラッチ欠陥の事件である。事件の内容は省略する。
上に挙げられた情状面の論告での厳しい言葉である。
ここまで言われなければ、解らないのか。解っていても、平然として、我が身の安泰と、会社の利益さえ上げられればよいと思っているのか。
姉歯も三菱も、同じ穴のムジナである。そしてそれは、私になったのかもしれない。誰もが陥る罠である。
金と地位である。
姉歯も三菱も、ばれなければ、公然として平然と行っていたであろ。そして、豊かな老後を過ごし、平然として善人面をし、善良な市民の顔して生きていた。
天下りで、何億も退職金を頂いても公然として平然と、老後を過ごしている元官僚、天下りの者共を見れば解る。
大きなことを言っていたホリエモンでさえ、結果は自分の金を掴みたかったのである。そのための、すべては手段である。
人も私も、醜い者である。チャンスがあれば、それに手を染める。
過ちの誘惑に引きずられるのである。誰が、彼らを裁けようか。
法律があって良かったと思う場面である。
法で縛られなければ、何を仕出かすか解らないのである。
自分の利益が人の利益になること、それが民主的国家の有り様であろう。そして、日本の商売とは、そういうものであった。
自分のみ得することを行えば、自ずと、自らの首を絞めることになった。それが、いつからか変節して、このような身勝手な、自分のためだけの世の中と、考えるようになった。金と地位であると言うが、それだけではない。先祖の因縁であろう。
そういう者の先祖も、そういうことを行っていた。そして、公然として平然と生きていた。今、それが因縁として、表に出た。と、そう思うことにする。
時間が経てば忘れられるという思う気持ちが、悲しい。忘れ去られれば、許される、または、罪に問われないと考えるのであろうか。
社会的罪は、忘れられるが、自分の心にある罪の意識は、どうするのか。(罪の意識が持てない者は、魔界転生の者である)
安心を得られず死ぬということは、霊界に行くことも、さりとて、幽霊でさ迷うこともなく、ただ、その場に張り付いているということを、知ってのことか。
自縛してしまうのである。要するに、木のように、固定されて動かない。
死は解放であるのに、解放されもせず、自由になることもなく自縛して、半永久的に、その場に居る。
別の言葉で言えば、地獄である。
それ以上の説明は避ける。
以下省略。