時事放談 33 2006/9/28
木村天山
昭和天皇が崩御されて、すぐに幽体を捨てて、霊体となり、霊界にて即座に働きを開始されたことは、知る人ぞ知ることである。
死後の世界など無いと断定する人には、信じられないことである。
科学的ではないという判断で、霊界の存在を無い、知らないと思い込む人は、不幸である。しかし、私は、それを説得し納得して貰おうとは思わない。
それは私の役目ではない。
現天皇陛下について、その働きを知る人は少ない。
それは宮内庁の考え方の偏狭さでもある。天皇陛下の働きを国民に広く、告知するべきであると私は思う。
天皇などいらないと思う不敬の思いは、いずれ先祖を通して、正されるはずである。
天皇は、国体である。今もそうである。
国体とは、国民と一緒であり、なお、日本という国のそのものであるということだ。日本は天皇が在りてこそ、日本なのである。
それは高祖高宗の天照大神のご遺志である。それも、信じる者は信じるという自由を与えられている。
私は言う。
天皇陛下の個人的時間は、睡眠の時間のみであろう。8時間とすると、後の16時間は、日本のため、国民のために、すべて使われる。
このことを知る人は少ない。
それでは、どんな仕事を成しているのか。
まず、日常公務の多くは、書類の決済である。
宮殿の表御座所「菊の間」にて、首相官邸、宮内庁から運ばれる書類をご覧になり、決済される。年間、2500件を超えると言われる。
認、可、覧の決済印を押し、署名する。
法律、条例、政令、国会召集、総選挙など天皇のご署名が必要である。
儀式は、総理大臣、最高裁判所長官の任命式。外国大使、公使の信任状奉呈式、大臣、判事、会計検査院検査官等の認証官任命式。勲章授与式、歌会始めの儀、園遊会、そして外国訪問。
天皇の外国訪問は、最も相手国に喜ばれることを知る人は少ない。
世界で唯一のエンペラーをお迎えするという意識は、大変な栄誉を与える。天皇に変わる日本人の代表はいない。
また、宮中祭祀は、政教分離により、天皇の私的な行事になっていてるが、これが実は、大変重要な、行事である。天皇のためではなく、日本の国、国民のために、されているのである。
宗教的行事ではなく、伝統行事なのであるが、何せ、政教分離と言うほどに、宗教と認定したのであるから、終わっている。天皇の神道行為は、宗教的行為ではなく、伝統行為であると言っても、納得し、受け入れる人が限られるという天皇の不幸、つまり国民の不幸である。
現在でも、宮中祭祀は、旧皇室祭祀令通りに行われている。
天皇は、目覚めて起きている間は、すべて公務であると考えればよい。
通常の感覚をもつ人は、狂う。
戦後、象徴天皇になってから、益々その働きが重要になっているとは、誰も思わない。象徴なのだから、居ればいいのだという考え方は、実に、平民的である。
他国の国王とは、意を事にする。
これ程、自己犠牲を払う天皇という存在は、世界に唯一である。それを理解するのは、海外の人であるという皮肉である。
日本は、天皇陛下の犠牲の下で、維持されている。
現天皇もしかりであるが、昭和天皇は、大戦を経て、国民に言いたいことを言わせて、黙々として、日本の国、国民のために働かれた。大戦のために亡くなった戦没者に対して、痛恨の極みであったことは、想像に難くない。
現天皇は、国歌斉唱や国旗掲揚についても、強制ではなくと控え目に語る。そして、天皇家は、国民の祈りの象徴でありたいとの言葉。
祈りが日常的になっている天皇の生活を鑑みれば、天皇に対して、自ずと、その姿勢が決まるのである。陛下を鑑みて、日本人として恥ずかしくない者になろうとする。そういう考え方が、また日本の伝統であった。
日本には、伝統がある。
そう、天皇という伝統である。
私は、右翼であろうか。全く違う。私は霊学を持って、天皇家を観るものである。
注意深く天皇の御働きを観れば、天皇による日本の国体の姿が見えるのであり、霊学からも、それは歴然としている。
神界が唯一開けているのも、日本上空のみである。
高天の原神界である。
そして、ヒマラヤ山脈の霊界である。他の国については言わない。
神界というが、神という存在は無い。人霊が進化して、次元の高い世界を神界と便宜上呼んでいる。唯一の神というものは、宇宙のどこを探しても無い。
そう名乗る者がいたらなば、それは人霊であり、宇宙の秩序と法則は、沈黙の存在である。すなわち、神は、沈黙の存在である。
日本での神という言葉は、尊称である。
ここで、欧米人が言うところの神観念とは、全く別にする。
欧米の思想を持っての宗教学なるもので、日本の神を語ることが、いかに愚かなことであるか、知るべし。特に学者と称する者共は、まず、そこから始めなければいけない。
日本には欧米の言う神なるものが無いこと、そして日本に宗教が無いという事実を知ることである。
宗教を必要とする国民ではない。それより、もっと次元の高い伝統を有する国、それが日本である。別の言葉で言えば、すべてに神を観た民族であると言う。