時事放談36

木村天山

 教師という人が、特に男性に言えるが、いかに人間として成長していないかを表す事件が、少女売春である。

 いくら新聞に書かれても、後を絶たない。

 神奈川県、海老名小学校教諭37歳が、出会い系サイトで知り合った17歳無職少女に、2万5千円を渡し、わいせつ行為をしたとして、逮捕された。

 わいせつ行為、つまりセックスである。

 教師になる人には、崇高な教育のビジョンがある。昔は、聖職と言われた。それ程、教師とは、素晴らしい仕事なのである。

 しかし、今では、生活のために、生計を立てるために職業としての教師になる。

 それでもいいが、実は、もっとある、真実がある。

 

 幼児性愛、ロリコン、そして幼児変態性愛、男の男子幼児性愛等々がある。

 てっとり早く、その対象を目の前にするには、教師が一番である。想像のみで、満足すれば良いが、そうはいかない。また、勤務する学校の児童生徒を相手に出来ないとなれば、関係ない地域の子供を狙うしかない。

 私は、性愛の形を非難し、裁く者ではない。そういう欲求が在るという人を認める。しかし、社会に生きる者としての、最低限のルールがある。児童生徒売春は罪である。

 自分の欲望を満足させるための行動が、児童生徒に与える、精神的ダメージは、計り知れないということである。

 

 未成熟な者が、性的欲求を満足させるとしたら、大人として成熟した女を相手に出来ない。すると、未熟な子供を狙うということになる。

 ついに、行き着くところは、未成年者売春である。

 携帯サイトに、お金を払うから、セックスをというメールを出す。子供は、お金欲しさに、簡単に誘いに乗る。

 制服を着た、未成熟な少女が、ホテルで男に体を任せる。快感など、当然無い。ある訳が無い。女性は、アホでない限り、精神的満たしが無ければ、性的に満足しないようになっている。

 とすると、当然、体は開かないままである。それを、快感と思う、男がいるのである。動物そのままである。

 

 セックスの際に、動物にならない男はいない。生殖行為は、動物になる。

 美しいセックスというのは、美しい体を持つ者同士が、余裕を持ってセックスを楽しむ時である。

 少女を売春した男のセックスが、美しいはずはない。

 ところが、少女を犯しているという自分に酔う。アドレナリンが、存分に出て、自己満足の極みをゆく。

 それをビデオに撮る者もいるから、仰天する。後で、それを見て、マスターベーションをする。何度も楽しめるのである。

 人間とは、哀れな者である。

 どんなに着て繕っても、程度がしれている。要は、動物なのである。前頭葉などセックス時には無い。

 その行為が許されるのは、成人した男女のみである。

 

 さて、教師も人間であるから、当然であると言うなかれ。それが子供を絶望に追いやっている行為と知れ。売春、少女売春が罪とされている社会の中にあって、教師という職ならば、特に、その行為は、罪が重い。教師になどなるな。子供を絶望に落とすのは、魔人である。

 主イエスキリスト曰く「彼らを絶望させる者は(天国への道を阻む者は)、挽き臼を負って海に投げ入れられた方が幸いである」と。

 追伸。私は成人者が売春をすることに関しては、罪と思わない。何故なら、売春をして生きるということに、誰も意見する権利を持たないということである。食うために、性を売ろうが、それは自由である。古代から売春は聖なる行為であることを、私は知っている。それについて述べるのは、省略する。

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