時事放談40 2006/10/7

 タイにて2

木村天山


 プミポン国王即位60周年の祝賀は、6月12日の午後から始まった。

 慶祝式典の頃、ホテルから出掛ける前のテレビで、その様子を見た。

 各国の王族が、順番に会場に到着する。それぞれが、プミポン国王陛下、王妃殿下にお祝いの言葉を送る。そして、日本の天皇皇后陛下である。前回も書いたが、皆、民族礼服を着ている。天皇陛下のみ、スーツー姿である。

 延々とそれが続いていたが、私は、同行者と中華街に向かった。

 タクシーでその近くまでと思ったが、ある道路に出ると、渋滞である。国賓のために道路規制をしているせいである。

 待つこと、30分。動かない。私たちは、タクシーを降りて、歩くことにした。

 中華街は、想像していたものとは別物で、驚き。そこを通り過ぎるだけになった。

 結局、チャオプラヤー川縁まで出た。向こう岸に渡るために、船に乗る。

 すでに、多くのタイ・バンコク市民たちが、川沿いを埋め尽くしていた。王室御船パレードを見るためである。

 夕暮れが迫っていた。

 その時、広いガラス越しに川を見晴らすラウンジで、両陛下は、各国の王族たちと、挨拶をしていた。

 そして、タイ側の関係者に案内されて、国王と王妃の間に座られて、お話を続けていた。 私たちは、それを知らず、乗り物を物色していた。料金の交渉をしていたのだ。漸く、話がついた車に乗り、再び橋を渡って、バンコク市内に向かった。

 その橋から、御船のパレードを見た。

 タイの市民は、多く黄色いTシャツを着ていた。王様の色である。

 市内の至るところに、黄色の垂れ幕があったもの印象的だ。

 

 私たちは、式典の間、バンコク市内のバザールで食事をして、のんびりして過ごした。 帰りのタクシーに乗り、王宮周辺の、年末の都内のようなミレナリオ光の装飾を見つつ、ホテルに戻った。

 ホテルのテレビには、祝賀の状況が映し出されている。

 一日中、全国のテレビでは、国王の祝賀を流し続けていたのであろうと思われる。

 こんなことは、日本ではあり得ない。

 言論の自由の名の元に、天皇制云々について、自由に話せ書くことが出来る。反対も賛成も言える。良い国である。

 

 多くの民族的緩和を王室が担っているということが解る、タイの王室の様を私は体験したようである。

 敬意を払うべきものには、敬意を払い、礼儀を尽くすことには、礼儀を尽くすという、当たり前のことである。

 日本のように、よもや、国歌斉唱の際に立つ、立たない、国旗掲揚は、思想、信条の強制であり、良心を云々ということもない。

 それをもっと一つにまとまる必要があるということだ。

 それを即座に、いつか来た道、戦争への道と、強迫神経症になることもない。皆、淡々として行為している様は、タイの平和を象徴している。

 

 老後をタイで過ごす日本人が増えているらしい。病院も日本人に対して非常に大切丁寧に接するという。勿論、お金を持つと思われる日本人であるからでもある。

 何か、タイにて、日本が失った大切なもの。礼節とか、礼儀作法とか、王室に対する態度を見て、学んだのである。

 これは、私感である。単なる私感であるから、特別なことを言うのではない。

 タイの人から、嫌な思いをさせられたことはない。

 昔一度だけ、一人でタイに旅して、ホテルから夕刻に出る時、売春行動グループの日本人の一員だと思われて、ボーイに軽蔑の眼差しを受けられた時だけであるが、私は、その一団と何の関係もなかったから、ボーイの誤解である。それだけだった。

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