時事放談 41 2006/10/10
木村天山
皇室典範改正についての有識者による改正は、女性天皇容認であるという。
皇太子の長子が愛子様だからだろうが、今回、秋篠宮様に、親王殿下がお生まれになった。それで、一旦は、先送りになった観がある。
誰も言わないので、私が言う。
皇太子のお子様に、皇太子になって欲しいと願う。
つまり、皇太子に親王様が生まれることである。
そうすると、雅子様に負担をかけることになる。
簡単な解決法がある。
皇太子様に、側室を持ってもらうことである。
こんな簡単なことを何故考えられないのか不思議だ。
有識者と言われる人には、誰も、日本の歴史を理解しているものなどいない。
意見を述べられるような者は、いない。通常の神経ならば、辞退しているところだが、先祖の因縁だろう。平気で引き受けるという愚である。
あれらの先祖を辿ると、皆、天皇家に楯突いた者どもである。
さて、一夫一婦制度というものが、いつから始まったのか。そしてそれを国が、どうして容認したのか。
どなたか、答えてみよ。何の根拠もない。
私は言う。あの野蛮な欧米人の思想的基盤である、キリスト教の偽善により、支配者のために、一夫一婦制というものがある。
旧約聖書までは、そんなことはなかった。生めよ増やせよ地に満ちよと、あの神は言う。しかるに、新約聖書から、突然、変わった。
日本では、戦国時代から、今の夫婦の形が定着してくるのである。
夫婦という、めおと、という言葉は、法律の言う夫婦ではない。夫夫、婦婦という関係もある。
めおとは、番(つがい)を言うが、それが男女のことであると、誰が言った。誰も言わない。
夫婦は、支配者が支配しやすい単位である。
多くを省略するが、野蛮なキリスト教が元での、フェミニズム、ウソのフェミニズムである。実に不自然な形を持って夫婦とした。
一人の男が一人の女とだけセックスをするなどという、馬鹿げたことがあるか。
エロ作家の渡辺淳一のためにあるのではない。
突然の話だが、イエスキリストは、娼婦に非常に情け深く接した。それを、神学者等、キリスト教関係の者には、理解できない。罪を許すというキリストの慈愛のようなことを言うが、そんな程度のことではない。
歴史を見よ。売春という行為は、神殿、または、神聖な場所において成されていたという事実である。売春は、神聖な行為であった。
ある若者が、私に言った。「俺とセックスしてくれる女の人なら、誰でもいいよ。俺みたいな者とセックスしてくれるんだから、本当、ありがたい」と、そして彼は、自分とセックスしてくれる女の人に、本当に感謝していた。相手が、遊びであろうと、彼は、感謝していた。
これが、男のセックスの原型である。
欲望を吐き出すことが、罪であるはずがない。欲望を罪として定めたのは、皆、野蛮な宗教である。支配しやすいからだ。
ちなみに、日本の神道、古神道では、セックス礼讚である。
イエスキリストは、売春が神聖な行為であることを知っていた。しかし、その当時は、すでに偽善者たちによって、売春を汚れた罪と意識するようになっていた。
女の母なる行為が、性行為である。子供を生むだけが、母性ではない。男を受け入れるという行為、そのものに、母性がある。
それをイエスキリストは知っていた。セックス、それは神なる母性の印しなのである。 また、夫以外の男と寝たという情婦にも、私もあなたを罪と定めない、二度とこのようなことをしないようにと言う。
イエスは、それを罪と裁く人が、皆、他の女と関係していることを見抜いてのことである。
一人の女とだけセックスを許すという法律などない。
今の結婚式は、今夜から二人はセックスしますと宣言するようなものだが、単に、法律上、夫婦と成るということであり、その他の関係を否定するものではない。
不倫や浮気などは、当たり前の当たり前である。
そんなことは、通常の感覚で考えれば解ることである。
逆に夫婦としての関係を作ることで、その関係に拘りを持つという罪なことをしている。
フェミニストが言う、それ程女を大切にするならば、女とセックスしないで、男は皆同性愛性交をすれば良い。
そうすると、フェミニストは焦るだろう。
お解りか、私の言うことが。
さて、皇太子の側室の話である。以上を鑑みて、皇太子が側室を持てないことが解ったであろう。皆、欧米の野蛮な思想的基盤、キリスト教のものである。兎に角、神の名の元に、支配するという根性である。
カトリックの七つの秘跡の一つが、婚姻である。
神の認めた夫婦の関係を解消してはならないと、離婚を認めない。離婚すると、教会には入られないのである。あちらの神らしい。
霊学から言う。縁のある夫婦関係とは、何組もある。その中の一人と結婚しても、縁ある者とまた出会うことがある。それが、不倫や浮気と言った言葉で表されるが、何のことはない、縁があるのであり、以前より太い場合の縁もある。
この世は無明である。その無明を苦として観たのはブッダである。その苦を生きることを、人生という。それがこの次元の特徴であるから、何の問題も無く、苦労して生きることである。愛憎で、苦しむのも、実に意義のあることである。
一夫多妻でも、一妻多夫でも、いいのである。
皇太子に側室を持つことを勧める。