時事放談47 2006/10/22

木村天山

 ある日、郵便受けに、一冊の本が入っていた。結構な厚さのある本である。

 富士大石寺顕正会とある。

 富士大石寺は、日蓮正宗の本山である。そこの信徒の会であろう。

 題は、「日蓮大聖人に背く日本は必ず滅ぶ」とある。

 すでに、日本が滅んでいると知る私は、笑った。

 彼らが言う、滅ぶとは何かを、よくよく読んでみるが、よく解らないのである。

 

 日蓮とは、天台から出た。そして法華経を持って、宗派を拓いた。日蓮宗の開祖である。 開祖であることには何の問題もないし、そして信徒に関しても、言うことは無い。

 私が言うのは、法華経に、どのような根拠があるのかということである。

 仏陀滅後、500年を経て、仏典が編纂される。

 我は、聞いたという文言から始まる、お経というものである。

 そしてそれは、大乗仏典の一つである。

 

 大乗仏教になってから、仏教が展開発展したことは認めるが。仏法であるとは、認められないのである。それは、大乗は仏法ではなにく、外道といわれる教えに与するからである。

 大乗仏教は、私の霊学から見ると、魔界の関与である。つまり、インド魔界の関与が、大乗を生んだ。それは大変に、耳触りの良いものである。それについては、省略する。

 

 その前に、重大な事を言う。

 仏陀は、未完であるということだ。

 悟りを得て、仏になるとは、何事か。

 悟りを得て、すべてを、つまり宇宙のすべてを了承したならば、消滅することを善しとする。仏陀は、そこまで到達しなかったのである。

 

 仏として存在するという愚かしさである。

 だから大乗仏教は、多くの妄想の神々を作り上げたのである。

 小乗の阿羅漢にせよ、大乗で言う菩薩にせよ、皆、ウソである。

 そんなものは無い。在る訳が無い。

 仏にならずに、人を救うために、菩薩の位にある等々、皆、妄想である。

 宇宙に、仏という存在は無い。

 仏陀も仏陀としてあるのみ。仏陀は一代で終わりである。永遠の仏陀など無いない。

 とすれば、経典というものの、根拠も無い。

 皆、人間が創作したものである。

 このことを理解した者は、幸いである。

 さて、その顕正会の言い分を聞くと、日本に、国立戒壇建立をと言う。

 信じる者は騙される。

 そんなものを建てたら、日本は、滅ぶどころか、日本沈没である。

 こうして、信じる者は盲目になり、信仰ではなく、信じることに「凝る」のである。信仰と、信じることに「凝る」のとは別物である。

 

 その会長は、言う。

 巨大地震、国家破産、異常気象、食糧危機、大疾病と。アホでなかろうか。

 そんなことは、誰もが知っている。

 ノストラダムスの大予言を書いた、あの妄想癖の男のようである。

 だから何だと言いたい。

 そんなことは、私も知っている。

 歴史は、そうして、生成してきたのである。アホが、そんなことを大袈裟に言わなくても、解っているのである。

 

 それより、その法華経の根拠を言え。

 法華経に根拠があるのか。

 仏陀が一言も言っていないことを、法華経は言う。

 法華経は誰が書いたのか・・・

 そして仏陀最後の教えとは、誰が言ったのか。

 まさか仏陀が言ったとは言えまい。

 そんなことは、言っていないからである。

 以下省略。

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