時事放談52 2006/10/25

木村天山

 それにしても、見事なクーデターであった。

 タイのクーデターである。一滴の血も流さず、銃を一発も発射することなくである。

 

 推定資産2000億円以上あるタクシン元首相、そして自ら設立した大手通信会社の株をシンガポール政府系投資会社に売却したが、都合よく法律を変えて、約2300億円の巨額取引を非課税にした。

 国を商売の道具として扱う者が首相である。

 また、スワンナプーム新空港の機材納入を巡る汚職疑惑である。

 これでは、やりたい放題である。そして、国民の篤い支持を得る国王に対する無礼である。いずれは、大統領にとの思い。まさに共産主義の如く、国民など、ゴミのようにしている様。

 見かねて、クーデターを起こしたソンティ陸軍司令官の気持ちが理解できる。

 国民の大半がそれを支持したのである。

 

 そして、国王の承認である。

 国王が承認すると、国民は安心した。

 見事というしかない。

 確かに、現在、クーデターは民主主義を反する行為であろうが、やもうえない場合もある。タクシンにも、クーデターにも反対するという団体も出た。当然である。

 しかし、クーデターは正解であった。

 国を私物化するという仰天は、共産主義を信奉する者に言える。民主主義のものではない。まして国民の支持の篤い伝統ある国王に対する無礼は、許せないのである。他民族国家は、何かをもって、つまり無償のものを持って統一した精神的支柱を持つことで保たれる。タイは、唯一その存在を持つ国である。

 天皇もタイの国王も象徴であるが、日本の場合は、天皇支持があまりに低い。

 

 ソンティ氏は、クーデター後に、国王に面会して事態を説明した。その姿がテレビで国民に映し出された。国民は安心したであろう。

 軍の戦車や兵隊と記念写真を撮る程の余裕がバンコク市内にあったという。

 

 後に、このクーデターの真価が問われるはずである。

 私は、国王が、今まで様々な形でタイ国民の声を代弁したのを知っている。

 タクシン一族の不透明な巨額株売却を機に起きた政治混乱でも、二度、メッセージを発した。

 3月12日、テレビが一斉に92年5月の国王仲裁の場面を放映した。つまり、国王への政治介入を求めた国民の声である。4月25日、裁判所長官の任命式で司法主導による政治混乱収拾を指示した。

 今回のクーデターの後は、沈黙を守り、承認する様のみを見せて、民主主義の発展のために、仲裁に乗り出すことはしなかった。そして、それは正解だった。

 国を私物化するタクシンと国民の仲裁をしても詮無いこと。

 

 この国王の姿勢のポイントは、仏教的である。

 決して、極悪非道な、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の思想ではない。仏の慈悲に基づいた対応であろう。

 実に、仏陀の教えは、民主主義に正しい。

 国王が沈黙しても、国王の存在感は増すのみである。

 ここに、伝統の意味深さがある。

 民主主義も、遂行するのが人間である限り、完全とは言えず、時に大きな過ちを犯す。そういう時に、生かされるのは、その国の伝統である。

 伝統に基づいた民主主義こそ、正しいものなる。

 民主主義は方法であるが、それを支える伝統がなければならない。

 誰が伝統を決めるのかという、アホな学者もいるが、伝統とは、歴史を通じて残り続けたものである。時代を経て、存続するものである。

 以下、省略。

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