時事放談55 2006/10/31

木村天山


 タワーレコード傘下のネット音楽配信、ナップスタージャパンが、10月3日、月額1980円で好きな楽曲を何曲でも携帯音楽プレーヤーで聞ける「聴き放題のネット音楽配信サービス」を始めた。

 国内外の150−万曲を用意して、本格的なネット音楽配信が始まった。

 また、パソコンでもダウンロードし携帯音楽プレーヤーに移して聞ける標準的なコースの他、パソコンだけで利用する月額1280円のコース、楽曲一曲ごとのばら売り、洋楽150円、邦楽200円も用意した。

 これでまた、レコード店が潰れる。

 レコード店に行き、ひとつひとつのCD等を選ぶ楽しみより、便利と合理的を選ぶことになる。

 その一曲のみを聴きたいと思う欲求に応えたものである。一曲のために、他の曲も入っているCDを買わなくていいのである。

 音楽配信の革命である。

 だが、その反面、昔のレコードが復活していると聞く。様々な形の音楽を楽しむという時代が到来して、まさに自由である。

 多くの中から選ぶ自由を享受出来る、良い時代となる。

 それで得する人、損する人、様々であろうが、時代は進む。

 

 手作りだった物が、機械で大量生産され、使い捨ての時代から、手作りの高価な物を求めて満足するという時代を経て、時代は進む。

 時の流れにはかなわないが、復活する物もある。

 松尾芭蕉は不易流行と言った。いつの時代にも、変わらずに流行するものである。それは芸術のことであろう。

 物が転変しても、人の心に変わらずにあるものである。

 どんなに機械のマッサージ機が開発されても、人の手に適わない。どんなに便利になっても、人の手が入ると、違う。それを感知することの出来る人が、本当の通なのであろう。 

 機械で作られる握り寿司と、人の握った寿司は、違う。

 食べられれば良いという人には解らないことである。

 いくら機械を通して聴いても、満足しないと、コンサート会場に足を運ぶ人もいる。本当の贅沢である。時間とお金がなければ、贅沢は出来ない。そして、心の余裕と、ゆとりである。

 私は、着物を着る。30年、着ている。便利な洗える着物が出た。仕立て上がりの着物もある。安く提供するが、本物を着ている者には、無理である。

 ウソは、矢張りウソである。

 中国で大量生産された衣服は、結局、使い捨て去れる。それを鑑みての安さであろう。どんどん消費させる。それはお金が動くことである。それから企業は逃れられない。

 後に残るものが、これ程少なくなった時代もない。すべて使い捨ての時代は、もう通り越して、それが当たり前になった。

 一生着れる程の立派な物は、特別注文で、それこそセレブな人のためにある。

 食べ物も、家畜の如くあり、着る物も、そしてそのうち生き方までも、皆、使い捨ての感覚になり、人生が軽く軽くなる。

 生死が、こんな軽い時代も無い。

 音楽配信から、余計な話に飛んだ。

 しかし実に、良い時代である。

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