時事放談56 2006/10/31

木村天山


 ある新興宗教の名誉会長が名誉学術称号200受賞したとのこと。

 まずは、御目出度いことである。日本人が、こういう形で、他国に認知されるのは、良いことである。

 さて、しかし、何故、貨幣価値の低い国々ばかりなのであろうと疑問が湧く。そして、どうして、そんなに多くの大学から称号を受けるのであろう。

 その団体の三代目の信者に尋ねた。即答で、お金であると言う。つまり現金でなくとも、本などの寄付等々であるという。

 金で買ったとは言わないが、疑問が残る。それを言えば、その団体が発行している新聞に、嫉妬だと言われる。

 私は、御目出度いことだと言った。そして本当にそう思う。

 疑問があるとしたら、それを平然と受けるという姿勢である。宗教家であろう。この世の名誉など欲しないであろうと思いが違うらしい。この世の名誉を多く受けたいと思う信仰とは何かと、問う。

 その宗団は、日蓮仏法、すなはち、法華経を持って仏法という。そういう宗教団体は、多い。

 例えば、Rという団体である。世界宗教者平和会議を先導している。今年は、八回目の会議を京都で行った。

 その内容を見て、単なるお飾りのものであることが解る。他の国の宗教者と違い、平和ボケ、寝ぼけている日本の宗教家の姿を見た。

 要するに、終わっている。紛争もテロも無い日本での、宗教者の平和運動など、知れている。危機意識皆無である。

 単なる、思いつきの平和会議と思わせる。

 報いを受けずに行為する。これが、宗教の行動原理である。

 いずれは布教して、信者を獲得するとしたら、日本が後進国に援助して、その金がまた日本の企業に戻ってくるという、ウソの開発援助と同じである。

 結局は、援助と言っても、自国の利益になるように動いている。単なる、金の流れの名目なのである。

 途上国に援助して、どこの日本の企業が介入したかを見れば解る。宗教家も、それと同じであれば、終わっている。

 この名誉会長は、いずれノーベル賞が欲しいのであろうと思ってしまう。そして、それを堂々と貰う。何せ、あの、マザーテレサでさえも、ノーベル平和賞を受けた。

 右手が良いことをする時、左手に知らせるなという、イエスキリストの言葉が空しく響く。隠れたところにおいでになる神には、隠れて祈れ、隠れて善きことをせよと言う。

 

 やりました、こんなに善いことをやりました。だから、素晴らしい教えです。信じて下さい。そして、信じる者は騙される。

 宗教団体とは、その集金力にかけては、実に素晴らしい機能を発揮する。それは、団体に入るものではなく、仏や神に捧げられるものだから、取れる取れる。

 あの高校野球で有名なP教団も、信者に毎日袋にお金を入れさせて、それを回収する。兎に角、金の集め方が、うまい。

 そして大きな建物である。

 威信を示す。

 どこに宗教の本質があるのか、解らない。

 

 神社に行けば、お祓いの段階で料金が変わるという仰天である。

 神が本当に金を要求するか。

 金額の段階により、お祓いの記念品が多くなるという。馬鹿馬鹿しい。物より、お祓いなのであり、それは、感謝の思いとなって、金銭が生じる。

 商売と同じではないか。私は、料金を取るなとは言わない。何故、一律にしないのかと思う。金持ちも貧乏人にも、同じく神は与える。そして、差し上げる額は、人それぞれである。中には、金持ちでケチな者もいるだろう。金持ちはケチに決まっているが。

 

 無償の善行は、宗教家たちより、単なるボランティアの人々に受け継がれているという悲劇である。勿論、ボランティアも我が身の満足のためにしている者も多数いる。

 芸能人が売名行為で、善行はやるのは正しい。いつこけるかもしれない世界にいて、心の休まる暇が無いのである。十分に理解する。

 しかし、神や仏の名における善行は、単なる偽善である。

 神や仏のみが知っていればよいことだから、誰に知らせることもない。

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