時事放談61 2006/11/1

木村天山


 木村天山という名は、占い師としての名である。それが、今ではほとんどの場面で使用している。芸名、ペンネームといったところである。

 さて、この度、非常に傲慢な話を聞いたので書くことにする。

 趣味でか何か知らないが、兎に角、占いをするという人の話である。

 今は、占いの本が溢れて、アマでもプロでも、皆それなりに占いの知識や、それなりに占うという行為が出来る。

 例えば、姓名判断などは、素人が書いた本も出て、誰にでも出来る。

 そこで、頼まれもしないのに、人の姓名判断をして、占うという行為をする。

 とても、傲慢なことである。

 そして言うことが、奮っている。お金を貰わずに占いをする。人の幸せを願う者であると言うのである。

 それならば、占いなどしない方が身のためである。

 占い師が死んで、どこの霊界に行くのか知っているのかと私は言う。

 まず、地獄である。地獄であればいいが、魔界ならば、もはや、霊界に縁することはない。何故、地獄かというと、占いを妄想であると知らないからである。

 

 例えば、易というものがある。易とは、変化することを言う。そこまではいい。

 占いの、東洋の占いの大本が、変化するというのである。つまり、占いは、変化するのである。要するに、占った結果も変化するのである。それを知ってのことか。

 姓名判断など、歴史が浅くて、実は話にならない。それならば、アメリカで成った心理学の方法を学べばよい。占い師より、当たる。

 黙って人の話を聞いていても、相手は、自分を理解していると納得する方法がある。

 そして、何も言わずとも、自分のことをすべて知っていると思い込ませる方法がある。

 改名して、人生が好転するならば、皆が好転し、皆が、幸せな人生を送られる。しかし、そうはならない。なるはずがない。

 画数の吉凶を判断したとして、その根拠は何かと問う。数に吉凶などない。

 また、血液型の性格判断なども、誰もが頷くものである。それは相対的に、誰にでもある性格の象徴を言うからである。

 極端に言えば、あなたは、神経質で、大胆なところがある。

 これは誰にでも当てはまる。その延長線である。

 

 姓名判断などを学ぶ人は、一番大切なことを知らない。

 親が子供に名をつける時、不幸になれ、人生が暗く重いものになれと願ってつけるかということである。私は、親は皆、子供が幸せになれと願い、祈りを持って名付けをすると信じる者である。

 その祈りの名前が、悪い訳があるはずがない。

 姓名判断を信じる者は、その祈りを知らない。

 人間には、宿命、運命、運勢がある。

 この中で変えられるものは、運命である。

 運命は、何を選ぶかによって、変わる。

 占い師は、それに手だし出来ない。出来るはずがない。

 この世に絶対というものは、無いからである。

 占いは、占いという情報を伝えるだけである。

 一つの物の見方から、たった一つの情報を与えるだけである。それも根拠はない。統計学であるという人がいるが、とんでもない。統計学の心理学を見ればよく解る。何の役に立っていない。それより、一粒の薬で解決する。

 お金はいらないから、改名しますというアマの占い好きの傲慢な言葉に、私は、これを書いた。私は、頼まれなければ決して、改名などしない。また、無料ですることもない。 以下、省略する。

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