時事放談62 2006/11/1

木村天山


 いじめによる子供たちの自殺が多いので、もし、この文章を読んでいるならば、アドバイスする。学校に行かないという自由もあることだ。無理に行くことはない。

 大人社会は、大変なストレスに侵されている。それが、子供に反射している。子供は、どこかで、それを発散する。それがいじめになる。

 昔のいじめは、いじめられる側にも多分に問題があった。30年程前である。

 しかし、今のいじめは、質が性格が違う。兎に角、誰かをターゲットにして、うっぷんを晴らすのである。

 実に、単純であるが、それが実にまた、陰湿なのである。

 それを見て、いじめられていないにも関わらず、転校する子供もいる。

 そういう場面を見るのも嫌なのだ。

 だから私は言う。学校に行くなと。

 すると、そんな勇気があれば、もっと何とかなっていたというだろう。また、学校に行かないということで、親が心配して、それも負担であると。

 親には、勇気をもって本当のことを言うべきである。しかし、それも出来ない場合は、誰でもいい、信頼する大人に相談することである。

 そういう人もいないという場合は各市町村にある、児童相談所、保健所でもいい。

 それも駄目ならば、いちのの電話もある。5000円をもって弁護士のところに相談してみる。兎に角、話を聞いてくれる大人のところに行く。精神科、心療内科でもいい。

 どうしても駄目なら、占い師でもいい。兎に角、話を聞いてくれる人を探すことである。

 いじめる側は、悪質な性格の者が多い。実に巧妙に、いじめるのである。そして、仲間を作る。色々ないじめを思いつく。いじめの自覚のない者もいる。

 そういう者たちにいじめられて、限界を感じたら、相談する人を探すこと。

 死ぬことを考える程の勇気があるなら、話を聞いてくれる人を探すことは、まだ易しいと思う。

 私は、自殺を否定しない。だが、それは病にあるものである。病は治療が必要である。その治療を拒めば、致し方ないのである。

 だが、まだ人生がこれから始まるのである。死ぬことはない。方法は必ずある。

 人生は、360度に考えることが出来る。絶対的なものは無い。

 私は、いじめを受けて、学校に行かなくなり、暴走族や、ぐれた子供を知っている。それでも死ぬより良い。チャンスがくるからだ。

 やり直すことが出来るのだ。

 結局、中学を中退して、道を外したが、今、19歳で二人目の子供を産むという女性もいる。それでいい。死ぬよりいい。立派な母親になってる。

 生きていればこその人生である。

 私は霊界を知っているが、生きるという時間は、霊界の時間の、ほんの一瞬でありながら、それが実に、永遠の輝きを持つ時間でもある。肉体を得たということは、肉体を欲したということであり、それにより、学ぶために生まれた。そして、それは生まれたくて生まれたのである。

 勿論、そんなことは、信じなくてもいいが、こういう考え方もあるのだということ。

 

 自殺をした子は、自殺をするために、何度も何度も考え抜いているはずである。その時、自分の思いの枠だけでは、判断してはいけない。そんなに多くの情報を持っていないからだ。良質の情報を得られれば、死ぬことは無くなる。

 だから、誰かに話すこと。

 話しが出来なければ、手紙でも、メールでも、何でも方法はある。

 死ぬのは、待て。明日死ねばいい。今でなく、明日死ねばいい。

 今日は生きて、明日死ねばいい。

 

 どうしても人間が苦手なら、動物でもいい、草木でもいい。言葉に出して話なさい。

 これは私の霊学の奥義だが、実は、動物も植物にも、霊、精霊が宿る。竹と友達になって、死ぬことをまぬがれた男の子を知っている。

 竹に抱き着いて、話をして生き抜いたのである。

 私はその秘密を知っている。竹の精霊が、彼を守ったのである。

 勿論、これも信じる必要がない。一つの情報である。

 いのちが、貴いのは、生き抜いて死ぬ時である。生きることで、いのちが貴いのではない。生き抜いて死ぬ時、いのちが貴いものなる。

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