時事放談63 2006/11/4
木村天山
今年の八月に生まれた赤ちゃんの数は、98,276人である。昨年の同月より、3,001人多く、七カ月連続で前年同月を上回っている。
一月から八月の出生数は、74万3,579人である。
さて、昨年の人工中絶件数は、28万9,127件である。前年に比べて、1万2,546件減少した。
厚生労働省は、景気回復で正規雇用が増えて、出産を後押ししているという、のんきなことを言う。それを言うなら、公務員は、三人生んでも大丈夫である。しかし、民間は一人が精々と言え。
人工中絶について言う。
公開されている数より、多いはずである。
それこそ、百人百様の理由がある。それは理解する。中絶をするなとは、言えない。
私の親友が妊娠した時、誰もが反対した。未婚の母になるからである。また、子供を育てるという苦労を知らないからだと言う。
しかし、私は、言った。生みたいと思えば生むべきだと。
彼女は、生んだ。
私は、別の彼女の親友に言われた。子供を生み育てることのない男が、生めと言う権利は無い。何故、生めと勧めたのかと。子供を育てることが、どんなに大変なことかと言う。彼女も夫が蒸発して、一人で子供を育てた女性である。その気持ちは、理解した。
私は、自然の法則に従うべきであると思う。
生まれる者が先である。親死に、子死に、孫死ぬことが、正しい。そういう意味で、私は生むことを勧める。
中には、私の勧めに反対して、中絶した女性もいる。私は彼女を裁かない。
中絶に関して、多々相談を受けた。
私は、生むことを前提にして話す。しかし、様々な問題を抱えて、結局生まないと決める女性がいる。その時である。男の存在感が無いのである。
ある女性が、妊娠した。それを男に報告した。喜ぶものと思った。しかし、男は、即座に堕ろしてくれと言った。女性は、愛しているという男の言葉を信じて身を任せ、結婚を前提として体の関係を続けていたが、男は違った。
男は単に、セックスの相手としてのみの考えしかなかった。その後、中絶した彼女に、男は、また二人で楽しくやろうと言った。私は、同じ男として、その男を切り捨てたい気分になった。
女を物として扱うその根性は、どこからのものか。
さて、レイプをされて妊娠し、生むことを決意した女性もいる。子供に罪はないと言う。誰知らぬ男の子供でも、自分の体に宿った命と、受け止めた。
そうして、様々な人がいる。
中学生や高校生の、中絶も多い。その相手は、大人の男の場合もある。
さて、私は言う。
子殺しは、いつの時代もあった。口減らしのためもある。悲しい歴史である。
生んだ子を、その場で殺された者もいた。
昔ならば兎も角、今は、避妊の技術も進んでいる。少しの注意で、女性を悲しませることがなくなるのである。
セックスフレンドと思っていた女性が妊娠して、生むと言うのを聞いて、唖然として、私に相談した男もいる。お互いに、セックスフレンドということでの付き合いだったと言う。何とか、堕ろすように説得出来ないかと言う。
キリスト教、特にカトリックは、中絶に絶対反対である。それは正しい。
命は、神からのものであるという考え方である。それは正しい。
それでは、日本の仏教は、どうであろう。積極的に発言することはない。ただ、水子供養をするという、体たらくである。
先祖供養と、水子供養に始終する宗教家の顔が見たいものである。
供養を商売とするのは、日本のすべての宗教に言える。終わっている。
オギノ式という自然避妊法がある。
せめても、そういう知識を伝えるべきであろう。コンドームもある。リングもある。男ならば、パイプカットもある。
セックスという一時的快感に血迷う人間とは、男とは、悲しいものである。
私はセックス礼讚であるが、それはルールがあってのこと。
女性を妊娠させて、トラブルになるのなら、男とすると、ゲイのセックスを選んだ男もいる。要するに、射精の快感であれば、男でも、道具でもいいのである。
今は、実に良い道具がある。存分にそれを使用して射精を楽しめばよい。
それに関しては、言うこと無し。
追伸)ある大手安売り店に行った。可愛い少女の人形があった。知らない私は、じっくりと見ていると、連れの者が言う。それは少女姿のワイフだと。つまり、幼児性愛、ロリコン用の男のためのものであり、特注で色々とサイズを合わせてくれるという。素晴らしいではないか。それで、少女を襲う事件が壊滅すれば、何の問題も無い。