時事放談76 2006/12/3

木村天山

 一円でも安い、もやしや、四個で百円の納豆が四十円になる日を待って、自転車を走らせる私には、松坂選手の大リーグ、60億円というお金は、想像すら出来ない。

 野球選手は、凄いなーあと思うものみで、別世界のことだと、眺めている。

 主イエスが「金持ちが天国に入るのは、ラクダが針の穴を通るより難しい」と言う。そして「キツネにはねぐらがあるが、人の子には、ねぐらさえない」と自分の境遇を言う。 そのクリスチャンの国から、システム販売の、ネズミ講に似たお金持ちになるという触れ込みの、会員を募る商売が多く生まれる。

 おおよそ、ウソ八百の世界であることは知るが、矢張りと頷く。

 何せ、主キリストを神と仰ぐ、ローマのバチカン市国は、世界有数の金持ちである。

 主イエスの言葉が空しく響くはずである。

 本音と建前どころの話しではない。

 皆々、ウソを言うのである。

 私のような貧乏人が、かろうじて、主イエスの言葉通りに、天国に入るのであろう。

 しかし、私は、キリスト教霊界の天国に入るのは、御免蒙る。

 

 ただ今の世界は、ユダヤ教の魔神、ヤウエとか、エホバとか言われる神もどきたちが支配する。神もどきたちである。複数である。

 我々に似せて、人間を作るという傲慢な者共である。

 主イエスは、それらを見破り、対決した。そして、それらを神と仰ぐ、ユダヤ人によって十字架刑に処せられた。

 嫉妬と裁きの神から、愛の神への信仰移行を願ったのである。

 

 ここでよく思うが、カトリックという団体の極悪非道さを書いても、その信徒や、司祭、修道者の中には、世界的に素晴らしい行為をしている者もいるということである。

 私が、宗教団体を批判する時、いつもそれが、頭にある。私は、団体を批判しているのであり、信徒を批判しない。

 それは、どの宗教に対してもである。何故なら、その宗教の開祖や教祖より、信徒の方が、高い霊界に多く行くことを知っている。

 教祖が、低レベルの霊界からの通信を受けて、宗教団体を作っても、信徒が、立派な者が多い。

 

 開祖や教祖になるというのも、因縁である。

 新興宗教の教祖は、アホが多いが、信徒が立派であるということが、多々ある。それに縁するということも因縁であろう。

 

 さて、それでは貧乏人が天国に行くのかというと、そうではない。

 霊界は、心のレベルの段階であるから、金持ちを嫉妬し、それらに悪心を持つ者は天国などに行かないであろう。

 と言うより、天国と言っても、数多くある。

 それぞれの民族の霊界の天国もあり、宗教の霊界の天国もありと、天国と言えども、多数である。

 本当の天国などない。

 それでは、アホな霊能者が、最高の次元、九次元が天国ですと言う。だが、九次元が天国でもない。要するに、天国など無いということであるが、知らないらしい。

 主イエスが言う天国は、私の父のおいでになる場所と言う。それが主イエスの天国である。主イエスの父は、どこの霊界においでになるのか、それが問題である。

 

 日本の国といっても広い。霊界は、もっと広い。

 仏教が言う極楽も、それはそれは広い。皆、極楽に行くとしても、場末の極楽から、温泉街の極楽まである。

 地獄、極楽も、皆々、妄想である。天国もしかり。

 

 仏教の天上界が、インド魔界の世界であるという仰天である。

 ギリシャの最高神をゼウスという。新興宗教の教祖が、ゼウスの生まれ変わりであると言う人もいたが、ゼウスは、未分化な存在である。人間とも、妖怪とも、神もどきともつかない、まだ何になるか知れない物の怪である。

 知らない人に、何を言っても信じるという気持ちさえ起こさせれば済む。

 兎に角、信じる者は、結果騙される。

 人の妄想に付き合っては、いられないのが人生なのであるが・・・

 さあ、四個で四十円の納豆を買いに、私は自転車で行く。

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