時事放談81 2006/12/10
木村天山
日本人は、罪を憎んで人を憎まずという、素晴らしい人間洞察力があった。
人が、時と場合で、罪を犯す者であるということを知っていた。誤りは、誰にでもあるという恩情である。
それを知っての罪の反省であった。
温かい目の中で、反省し、二度と過ちを犯すまいと考えた。
さて、警察官も人間だから・・・教師も人間だから・・・そういう言葉で許したいと思うが、どうも、そう思えば、しめしめと思われるようなことも多々あり、人を憎まずという言葉が空しく思えてきた。
飲酒運転で懲戒処分を受けた全国の警察官と警察要員は、今年、1月から10月までで、28人である。
犯罪、交通違反、異性関係、監督責任など、不祥事による今年上半期の懲戒処分は、194人である。
中堅、ベテランに不祥事が多いという。
ただ、25万人の多くの警察官は、地味に職務に取り組んでいる。
彼らのお陰で、安心して暮らしが出来る。治安の良さは、彼らに支えられてある。感謝である。
来年度から三カ年の間に、一万人の増員計画があるという。
最も大切なことは、警察官の職務の誇りである。それが、最も彼らを正す。それを期待する。そして、市民として、警察官は、安心のサービス業でもあるということ。
その態度や、物言いに、時に傲慢不遜を感じることがあろうが、許すのは、彼らによって、安心して暮らせると思うからだ。
警察官に化けて悪さをする者もいる。警察官に対する安心感を利用しての、あくどさである。今、社会の中で信頼出来るという警察官の存在は、大きい。警察の目があるというだけで、気楽に道を歩いていられるという安心感を得ている。
だから、警察官には、誇りをもって欲しい。それが、身を律することにもなる。
それをを持っても、人間ということでの不祥事があった場合、警察官も人間であるという言葉が生きる。
実は、本当に人を裁く者は、他人ではない。自らが、自らを裁く。それが宇宙の法則である。社会的に、その人を裁くことは、その人の犯した実質のことであり、心的状態は、その人自身が、断罪する。自分が自分を裁く程、辛いことはない。
それを古人は知って、罪を憎んで人を憎まずと言った。