時事放談82 2006/12/13

木村天山

 11月21日、東京オペラシティ3Fにある、近江楽堂にて、ギタリスト千葉真康のリサイタルを開催した。

 普段は意識しなかったことだが、その日は愕然とし、呆然とした。

 ビルの音楽である。

 クリスマスソングが流れ続けていた。この時期になると、アホも馬鹿もクリスマスソングである。信じられないのである。ましてや、東京オペラシティには、大ホールがある。その日も、大ホールではコンサートが開催されていた。

 コンサート後に、ビルのクリスマスソングの繰り返しを聞かされては、興ざめすることであろうと思う。

 同じ曲が繰り返し流されるという暴挙である。

 ダイエーの食品売り場ならば、まだ理解する。買い物を終えたら出るからである。

 年末に向けて、日本中がクリスチャンになるという仰天である。

 これ程、都会が煩い国も無い。

 兎に角、音に溢れている。もう諦めているから言うのを止める。

 ただ、コンサートホールの案内のアナウンスが余計であることを言う。

 ただ今より始まりますでよい。携帯電話をオフにせよ、飲食はご遠慮下さいだの、アホではないか。コンサートを聴く人が、携帯を鳴らすものか。

 そんなことは、入り口にでも書いておけばよい。

 ありとあらゆる注意をして、どうする。電車の案内は、田舎から出て来た人のために必要だと、我慢するが、一定の常識を持って望む場所に、果たして必要であろうか。

 私は、コンサートの最初の案内を止めて久しい。

 繊細で静かな日本人が、一体、どうしてこう煩い音楽の洪水を流すようになったのか。喧しいのは、ピアノで沢山である。

 この時期に、クリスマス気分を盛り上げて、物を買わせようとの、デパート商戦が、発端である。それに、便乗して、あれやこれやという間に、当たり前になった。この時期から、クリスマスまで、どこへ入っても、クリスマスソングである。

 クリスチャンでもある私は、興ざめして、嫌気が差す。

 そういえば、年末の第九である。あれも、よくやる。第九を聴かなければ、一年が終わらないというアホバカ。余程、寂しい病に犯されているとしか思えない。

 イメージが乏しい現れである。

 勿論、新年の琴演奏の音もである。

 これもイメージが乏しい故である。

 

 音の洪水に流れさて、そのまま流されて、日本人は、どこかへ、行ってしまった。

 日本人が、喧しいことが好きな韓国人や中国人に真似ることはないと思うが。

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